2PMのジュノが主演した『袖先赤いクットン』(原題)では、主人公イ・サンとイ・セヨンが扮した宮女ソン・ドクイムとのラブロマンスが抒情的に描かれていたが、同時に、世子から国王になっていく過程でイ・サンの心の成長もしっかり捉えられていた。
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実際、国王になるまでのイ・サンは史実でも生命の危険を感じる局面が数多くあり、常に緊張状態を維持しながら世子として厳しい政務に当たらなければならなかった。
よく知られているように、イ・サンは10歳のときに父親の思悼(サド)世子を米びつ餓死事件で失うわけだが、父親を敵視して死に追いやった最大派閥の老論派は、イ・サンに対しても苛烈な監視を続けていた。
老論派が恐れたのは「イ・サンが父親の仇討ちとして復讐してくること」だった。
事実、イ・サンは祖父の英祖(ヨンジョ)に対して父親の助命嘆願まで自ら行なっていた。その願いは叶わず父親は餓死してしまったことが、イ・サンの心に深い傷を残していた。
そんなイ・サンを極度に警戒した老論派は、彼が10代後半を迎えた頃から暗殺を視野に入れた。イ・サンは世孫(セソン/国王の後継者となる孫)の立場にあったから、英祖が亡くなればただちに次代の国王になっていく。そうなると、復讐されるのが目に見えていたので、老論派は英祖が生きている間にイ・サンの命を狙った。
そのことにイ・サン本人が気づかないはずがない。彼は常に暗殺を避ける行ないを続けた。その最たることは着替えをしないで寝床につくことだった。それは、急に刺客に襲われたときにすみやかに避難するための手段であった。
まともな服装で寝床につけなかったイ・サン。王朝のナンバー2でありながら、自分の不遇をさぞかし嘆いたことであろう。まさに忍耐をずっと強いられてきたのだ。
しかし、苦難の中で気持ちが強くなり、イ・サンは不屈の精神力を身につけていった。
そういう史実でのイ・サンの成長を頭に描きながら『袖先赤いクットン』(原題)を見ていけば、また違った感慨をもって話題の時代劇を見ることができるかもしれない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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