テレビ東京で放送中の『帝王の娘 スベクヒャン』は、12月23日の第44話で、イ・ジェリョンが演じる武寧王(ムリョンワン)が本当に「慈悲深い国王」として描かれていた。
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チョ・ヒョンジェが扮する太子ミョンノンの安否が危うくなっていても、それよりも多くの民衆の命をとても大事にしていた。
結果的に、ミョンノンは無事に助かって王宮に戻ってきたが、武寧王はそのときもミョンノンに対して父親としての愛情を示していた。本当に人格高潔な国王なのである。
果たして、それは史実と合っているのだろうか。
古代の歴史書として信憑性が高い『三国史書』によると、武寧王は「情が深く寛大であった」という。さらには、民衆たちからとても慕われていたそうだ。
しかも、容貌が絵のように美しかったそうだ。今で言うと大変なイケメンの国王であった。さぞかし人気も抜群だったことだろう。
この武寧王に関しては、名君らしいエピソードがたくさん残っている。
506年の春、百済(ペクチェ)では、疫病がはやり、さらに、雨が降らなかった。日照りが続いて民衆たちは飢えてしまったのだが、武寧王は穀物を配って飢えた民衆を救った。さすが名君である。
510年には、堤防を築いて水害を食い止めた。そして、遊んで暮らしている人々を農村に帰して耕作に専念させた。
こうした善政は数多く行なわれた。さらに、武寧王は高句麗(コグリョ)との争いでも防衛をしっかり行なって決して負けなかった。
武寧王の政治を見ていると、「民衆を救って国土を守った」という功績が本当に多かった。彼は百済の全盛期を築いた本当の名君であったのだ。
『帝王の娘 スベクヒャン』でも、正しい判断で統治を成功させている武寧王の雄姿が描かれている。しかも、太子ミョンノンも後に武寧王の王位を引き継いで名君の仲間入りを果たしている。
そういう意味で、百済は武寧王と太子ミョンノンが生きていた頃は本当に国力が充実していた。そんな華やかな時代を『帝王の娘 スベクヒャン』は描いている。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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