朝鮮王朝の歴代王にとって、子供をたくさん持つということは重要な宿題になっていた。世襲制である以上、国王は自分の息子に王位を引き継がなければならない。そのためには、王位継承者候補となる息子は多いほど良かったのである。
それでは、歴代王の27人は合計で何人の子供を持っただろうか。
総数は235人である。その中で側室が産んだ子供の数は154人で、正室が産んだ子供より圧倒的に多かった。それは当然かもしれない。国王は正室を1人しか持てないが、側室は何人抱えても良かったからだ。
とはいえ、朝鮮王朝の序盤には正室がたくさんの子供を産む割合が高かった。
たとえば、初代王・太祖(テジョ)の正室である神懿(シヌィ)王后は6男2女、3代王・太宗(テジョン)の正室である元敬(ウォンギョン)王后は4男4女、4代王・世宗(セジョン)の正室である昭憲(ソホン)王后は8男2女を産んでいる。
まさに、朝鮮王朝序盤の王妃は身体が本当に丈夫であった。
こうした事実を踏まえながら、国王の子供の数を調べてみると、子供が多かった国王のベスト5は次のような結果になった。
〔子供の数が多かった国王〕
1位 3代王・太宗 29人 (正室から8人、側室から21人)
2位 9代王・成宗 28人 (正室から3人、側室から25人)
3位 14代王・宣祖 25人 (正室から2人、側室から23人)
4位 2代王・定宗 23人 (側室から23人)
5位 4代王・世宗 22人 (正室から10人、側室から12人)
※子供の数は歴史的な記録によって差異があります
ランキングのトップは太宗となった。彼は歴代王の中で最も強大な権限を持った国王であったが、子供の数においても他の国王を抑えて貫禄を見せた。
こうしたランキングを見ていて特徴的なのが4位の定宗(チョンジョン)だ。彼の場合、側室が23人の子供を産んでいる。正室の定安(チョンアン)王后には子供がいなかったのだが、8人の側室が代わりを務めた。
しかし、定宗は息子ではなく弟の太宗に王位を譲らなければならなかった。実力のない兄だったので、それは仕方がないことだった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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