【『哲仁王后』で気になる登場人物】果たして永平君とはどんな人物なのか

このエントリーをはてなブックマークに追加

歴史描写とコミカルな場面が混在した時代劇『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』は間違いなく傑作であり、見ていて興味深い登場人物がとても多い。永平君(ヨンピョングン)もその1人だ。

 【写真】『哲仁王后』の永平君ユ・ミンギュはどこかで見たことないか?

ドラマではユ・ミンギュが演じていて、禁衛大将(クミテジャン)として国王の哲宗(チョルジョン)をしっかり守っている。

この永平君は歴史上でも実在した人物だ。実際に哲宗の異母兄にあたる。哲宗は1831年生まれだが、永平君は1828年生まれとなっている。兄が弟より3歳上なのだ。

何よりも、永平君と哲宗は、あの有名な思悼(サド)世子のひ孫である。

そのあたりを詳しく解説してみよう。

ユ・ミンギュが永平君を演じた(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

必死に国王を守っていた

英祖(ヨンジョ)の息子だった思悼(サド)世子は、よく知られているように、1762年に米びつに閉じ込められて餓死した。酒乱と暴力で素行が悪く英祖から処罰された結果だった。

その思悼世子の長男は、名君として知られるイ・サンだ。そして、彼の異母弟にあたるのが恩彦君(サオングン)という人だった。

さらに恩彦君の息子が全渓君(チョンゲグン)であり、哲宗と永平君の父親にあたる。

このように、哲宗と永平君は由緒正しい王族なのだが、恩彦君と全渓君が処罰を受けたり謀反を疑われたりして苦労ばかりしていたので、その影響が子孫にも及んでしまった。

『哲仁王后~俺がクイーン!?~』DVD-BOX 18,000円(税抜)
発売元:ストリームメディアコーポレーション/販売元:TCエンタテインメント/
© STUDIO DRAGON CORPORATION

実際、哲宗は都から追われて地方の江華島(カンファド)に移って農業に明け暮れていた。本来なら王族なのに実質的には王族の扱いをされていなかった。それは、異母兄の永平君も事情は同じだった。

しかし、大王大妃の思惑で哲宗は「青天の霹靂(へきれき)」で国王に推挙され、急に都に連れてこられて即位した。それにともなって永平君も王宮で要職に就くことができるようになった。

ドラマでは、永平君が哲宗の最側近として国王にピッタリ密着している。彼にしてみれば、異母弟の哲宗こそが自分の生命線であり、彼が廃位となったら自分も没落するのが目に見えていた。それゆえに、必死で国王を守っていたのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

【写真】哲宗役キム・ジョンヒョン、こんなドラマにも出演していた!!

【写真】『哲仁王后』で違った印象を見せるシン・ヘソン

【関連】【『哲仁王后』のホントの歴史】哲宗は「操り人形」の情けない国王だったのか

前へ

1 / 1

次へ

関連記事


RANKINGアクセスランキング

写真


注目記事