時代劇『七日の王妃』のタイトルは本当にわかりやすくて史実にも忠実だ。つまり、パク・ミニョンが演じるシン・チェギョンは、1506年に燕山君(ヨンサングン)が廃位になって夫が中宗(チュンジョン)として即位すると、彼女も端敬(タンギョン)王后になった。
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しかし、彼女の身内に燕山君の関係者が多いことが大問題となり、クーデターを成功させた高官たちの主張が通って王妃はわずか7日で王宮を追われてしまった。
本当に、わずか7日だけの王妃だったのだ。
その後、中宗は再婚した。相手は章敬(チャンギョン)王后だった。しかし、1515年、章敬王后は中宗の長男を出産した直後に危篤となり、そのまま亡くなってしまった。本当に悲しい出来事だった。
とはいえ、国王が独身でいるわけにはいかない。すぐに次の王妃選びが課題となった。
このとき、王宮の官僚たちの間で、「かつての端敬王后に再び王妃になっていただいたらどうか」という意見が出てきた。
中宗としても願っていたことだった。1506年には愛しあいながら別れざるをえなかったのに、その9年後にヨリを戻すチャンスが得られたのだ。
「果たして端敬王后は王宮に帰ってきてくださるのか」
そんな話題が王宮を賑わせることになった。
こうして王妃復帰説が有力になったのに、またもや強硬な反対意見が出た。それは、9年前に端敬王后を追い出した高官たちだった。彼らがまだ権力的に力を持っていて、結局は王妃復帰説を否定してしまった。
ガッカリした中宗。彼は国王なのに、クーデターを成功させた高官たちに9年後も頭が上がらなかったのだ。
その結果、中宗が三番目の妻として迎えたのが、恐ろしい悪女として知られた文定(ムンジョン)王后だった。それは最悪の選択だったのだ。
結局、端敬王后の王妃復帰は実現しなかった。こうした話は『七日の王妃』で描かれることはなかったのだが、後日談として多くの人に知ってもらいたい逸話だ。言ってみれば、端敬王后は二度も王宮から追放されたも同然だった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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