『ヘチ 王座への道』の第8話には大きな進展があった。チョン・イルが演じるヨニングンがついに世弟(セジェ)になったのだ。つまり、景宗(キョンジョン)の正式な後継者になったということである。
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それまで、母親の身分が低いことによって王族の中でも不当に差別されてきたヨニングンであったが、名実ともに王朝のナンバー2に昇格した。その待遇は格段にアップされて、王宮で尊敬を集める身分となった。
実際、王朝のナンバー2は国王の子供であれば世子(セジャ)、孫であれば世孫(セソン)、弟であれば世弟(セジェ)となる。
史実によると、ヨニングンが公式的に世弟になったのは、1721年8月であった。
ただちに、ヨニングンは王宮の東側にあった東宮(トングン)に移り住んだ。そして、正式に東宮には世弟のための官庁が作られ、大勢の官僚たちが配下に組み込まれた。護衛のための兵士たちも集められた。
このように、東宮の機能は徹底的に強化された。なにしろ、国王が急に亡くなれば世弟がすぐに国王として即位しなければならない。常に臨戦態勢を怠ってはいけないのだ。
とはいえ、世弟になったからといっても安泰ではなかった。
当時、景宗を支えていた少論派はヨニングンに対して常に警戒しており、失態があれば世弟失格の烙印を押そうと待ち構えていた。
それだけに、ヨニングンはいかなるときもスキを見せてはいけなかった。必然的に、気が休まるときがなかったことだろう。
また、景宗は病弱だったので、国王としての執務が難しいときがあった。すかさず、ヨニングンを支持した老論派は代理聴政を主張した。つまり、ヨニングンに摂政をさせましょう、という訴えだった。
景宗が応じることが何度もあったが、その度に少論派が強硬に反対して、ヨニングンの代理聴政はなかなか実現しなかった。しかし、そのほうがかえってヨニングンにとって好都合だった。彼は控えめに行動して、世弟の身分を剥奪されないように最善を尽くしたのである。
そういう意味で、ヨニングンは本当に賢い世弟であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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