【名君の晩年】イ・サンが死の直前まで気にかけていた息子の嫁選びの結末とは?

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2PMのジュノが『赤い袖先』(原題)でイ・サンを演じてから、この名君の人生が再び韓国でクローズアップされている。それほど人気ドラマの影響は大きい。

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特に、『赤い袖先』は2021年のベストワンのドラマに推す声も多く、時代劇という枠を超えて視聴者の心に鮮烈な印象を残した。必然的に、ジュノが演じたイ・サンの生涯に関心を持つ人が飛躍的に増えたのである。

その『赤い袖先』はイ・サンの世子時代から若い時期を中心に描かれていたが、今回はイ・サンの晩年におけるエピソードを紹介してみよう。

イ・サンは24歳だった1776年に22代王として即位したが、彼の悩みの一つは後継ぎがなかなかできなかったことだ。

正室の孝懿王后(ヒョウィワンフ)は、子供を産んでいない。

イ・サンには側室が4人いたが、一番寵愛されていたのは宜嬪(ウィビン)・成氏(ソンシ)で、『赤い袖先』でイ・セヨンが演じたソン・ドクイムのモデルになった。彼女は正祖との間に文孝(ムニョ)世子を産んでいる。しかし、5歳で早世してしまった。

(写真提供=MBC)

もし違う世子嬪を選んでいたら?

結局、イ・サンの後継ぎを産んだのは側室の綏嬪(スビン)・朴氏(パクシ)で、王子は1790年に生まれている。後の純祖(スンジョ)だ。

純祖の嫁を選ぶカンテク(揀択)が実施されたのは、1800年のことでイ・サンは48歳になっていた。

カンテクは3回にわたって実施される。初カンテク、再カンテク、最終カンテクを経て、残った最後の1人が世子嬪(セジャビン/世子の妻)に選ばれる。

しかし、再カンテクが終わって最終候補者が絞られてから、イ・サンが急に病床に伏すことになってしまった。

イ・サンとしては、ぜひとも自分の目で世子嬪を選びたかった。しかし、その願いは叶わず、彼は世を去ってしまった。

こうして、世子嬪はイ・サンが亡くなったあとに正式に決められた。選ばれた世子嬪が後の純元(スヌォン)王后である。

彼女は実家の安東(アンドン)・金氏(キムシ)の一族に政治を独占させて国政を歪めた張本人だ。

もしイ・サンが長生きして違う世子嬪を選んでいたら?

朝鮮王朝の歴史はもっと違うものになったかもしれない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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