海路で釜山(プサン)に来る時、港に入って真っ先に目に飛び込んでくるのが、国際旅客ターミナルの近くにそびえ立つ、釜山タワーである。その釜山タワーは、龍頭山(ヨンドゥサン)と言う小高い丘の上に立っている。
この龍頭山一帯には江戸時代、日本の唯一の在外公館である倭館が置かれ、外交や貿易を司った。倭館には常時500人以上が滞在し、朝鮮から日本へは高麗人参や絹が、日本から朝鮮へは銀が主に取引された。
しかし豊臣秀吉の朝鮮出兵の記憶が生々しいだけに、日本人は倭館から外に出ることは、固く禁止されていた。
日本の植民地時代になると、龍頭山周辺に日本人が多く居住し、釜山の中心街を形成した。最近はかなり少なくなったが、このエリアには、日本式の建物がまだ残っている。
龍頭山の釜山タワーの前には、秀吉軍を撃破した海戦の雄・李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像が立っている。李舜臣将軍の銅像は、ソウルの光化門(クァンファムン)広場をはじめ韓国各地に立っているが、龍頭山の銅像は、とりわけリアリティーを感じる。
銅像を後ろから見ると、その向こうに影島(ヨンド)がある。
1592年4月13日、役人が兵を伴って影島を巡察していると、水平線の向こうに、船影が見えた。最初は海賊的集団である倭寇の船かと思ったが、水平線を埋め尽くすような大量の船団に仰天した。
これが日韓関係に今でも暗い影を落とす豊臣秀吉の朝鮮出兵、韓国で言う「壬辰倭乱(イムジンウェラン)」の始まりである。
文・写真=大島 裕史
大島 裕史 プロフィール
1961年東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、1993年~1994年、ソウルの延世大学韓国語学堂に留学。同校全課程修了後、日本に帰国し、文筆業に。『日韓キックオフ伝説』(実業之日本社、のちに集英社文庫)で1996年度ミズノスポーツライター賞受賞。その他の著書に、『2002年韓国への旅』(NHK出版)、『誰かについしゃべりたくなる日韓なるほど雑学の本』(幻冬舎文庫)、『コリアンスポーツ「克日」戦争』(新潮社)など。
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