【深発見44】抵抗する街・光州=クァンジュと食都の関係、そして歴史のエネルギー

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韓国では光州(クァンジュ)事件の精神を受け継ごうとする動きも、活発である。その一つが、「分かち合いの精神」である。

光州事件の時、バスやタクシーの運転手は、車をバリケードとして市民を守り、兵役を経験した者は、銃の使い方を指導し、女性たちは、おにぎりなどを作って差し入れをし、市民たちは積極的に献血をした。

2005年5月にドラマ『第5共和国』で光州事件が再現された。その撮影には多くの光州市民が参加した。

前夜祭の会場周辺では、当時の気持ちを受け継ごうと、主婦や市民団体の人たちが、おにぎりを作って、道行く人に配っていた。このおにぎりが、微妙な甘さと塩加減の調和が取れていて、実に美味しかった。

肥沃な湖南(ホナム)平野に位置し、木浦(モッポ)、麗水(ヨス)などで水揚げした海産物の中継基地である光州は、ビビンバの本場である全州(チョンジュ)とともに、韓国を代表する食都として知られている。1個のおにぎりにも、さすがは光州と、感心した。

【深発見36】「食は全州にあり」と言われる街・チョンジュ(全州)

前夜祭において、ステージに立った主催者側の人は、こう言った。「この地には、歴史のエネルギーがある」と。

実際、光州を中心とする湖南地方(=全羅道〔チョルラド〕のこと)は、数多くの抵抗運動の舞台となった。

1929年11月3日は、「植民地奴隷教育制度撤廃」を訴え、光州を拠点に朝鮮半島全体に広がった、光州学生独立運動が起きた。

この運動は、1919年の三・一独立運動の後の、最大の抗日独立運動となった。錦南路と平行している光州最大の若者の街・忠壮路(チュンジャンノ)には、光州学生独立運動の記念館がある。

さらに遡る1894年には、光州の北側にある古阜(コブ)の農民が反乱を起こした、甲午農民戦争が起きている。

また、解放後の1948年10月19日には、光州の南にある漁村あった麗水で軍人が反乱を起こし、隣接する順天(スンチョン)を含め一帯を支配した、霊水・順天反乱が起きている。

この事件は、巨匠・林権澤(イム・グォンテク)監督の映画『太白山脈』などに描かれている。
このように、この地域で反乱や抵抗運動が多いのは、光州が食都であることと、無関係ではない。

肥沃な湖南平野にありながら、封建時代、農民たちは自分たちが収穫した農作物をほとんど口にすることはできず、ひたすら搾取されてきた。重い税に苦しむ農民たちは、しばしば反乱を起こしている。

土地制度が確立された近代になると、農民たちは小作農として貧困にあえぐ一方で、地主たちは湖南財閥と呼ばれるほど、財を成していた。

それに対する怨みは根強く、1948年の霊水・順天反乱も、軍人たちの反乱ではあるが、背後には、なかなか進まない農地開放への不満があった。

広々として美しい、湖南平野の田園風景には、農民たちの汗と怨嗟の気持ちがしみ込んでいる。

その一方で、こうした苦難の歴史を通してこの地域は、風刺の精神に富んだパンソリ(浪曲のように、独特の節をつけて物語を歌うもの)やマダン劇(広場など野外で行われる演劇)といった庶民の芸能を育んできた。

したがって光州は、芸術の街でもあり、2年に一度開かれる国際現代芸術祭であるビエンナーレも開催されている。

こうした苦難の歴史の中に文化が息づく光州であるが、2002年6月22日、あの光州事件以来、錦南路が市民で埋まり、通りが赤く染まった。

しかし今度は血ではなく、赤いTシャツによってである。

この日、光州のワールドカップスタジアムでは、ワールドカップの準々決勝、韓国対スペイン戦が行われた。

試合会場では、臨時に当日券が販売されることを期待して何日も前から徹夜の行列ができていたが、無理だと分かると、試合の見物場所を錦南路に移した。

錦南路は早朝から市民で埋まっていたが、その中には、光州事件を経験した主婦もいた。赤いTシャツを着たその主婦の言葉が、強く印象に残っている。
「こうして市民が一つになっているのが、嬉しい。あの時(光州事件)も、市民は一つになっていたけど、あまりに悲しく。希望がなかった」

この光州で韓国は、PK戦の末に強豪スペインを破り、ベスト4進出を果たした。やはり光州には、歴史のエネルギーがあるのだろうか。

試合が終わるとスタジアムで試合を観ていた市民たちは、市の中心部に向けて行進を始めた。

太鼓を持ったリーダー格の人が、マダン劇の掛け声である「オルシグー」という言葉を発すると、後に続く人たちが「チョッタ(いいぞ)」と返して、国歌の斉唱が行われるとともに、行進が始まった。

その様は、あたかもマダン劇を観ているようであった。

私はこの時のワールドカップで、韓国戦はすべて現地のスタジアムで観たが、このような雰囲気は、光州だけのものであった。

文・写真=大島 裕史

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