【不可解な粛宗】トンイはなぜ王妃になれなかったのか

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ハン・ヒョジュが主演した『トンイ』というドラマは、19代王・粛宗(スクチョン)の統治時代の政治状況をわかりやすく見せてくれるドラマであった。

登場人物で言えば、粛宗の他にも、ハン・ヒョジュが扮した淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)、彼女が慕った仁顕(イニョン)王后、希代の悪女と言われた張禧嬪(チャン・ヒビン)などがとても印象的だった。そうしたキャストがドラマを大いに盛り上げたが、歴史を細かく見ると、粛宗が行なった決断の中で不可解なことがあった。その一つが、仁顕王后が亡くなったあとの新しい王妃選びだ。

具体的に見てみよう。

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1701年に仁顕王后が亡くなったとき、淑嬪・崔氏の告発によって「張禧嬪が仁顕王后を呪詛(じゅそ)していた」ことが明らかになった。それによって、張禧嬪は死罪を命じられたのだが、彼女が絶命するときに粛宗は奇妙な法律を作っている。それは、「今後いっさい側室から王妃に昇格ができない」というものだ。

その根拠は何だったのだろうか。

ドラマ『トンイ』に出演したハン・ヒョジュとチ・ジニ(写真=SPORTS KOREA)

度量が狭い国王

それまで、側室から王妃になった女性は何人もいた。張禧嬪もその1人であり、彼女は再び側室に降格になったとはいえ、5年間は王妃の座に留まっていた。そこで粛宗は、張禧嬪が悪い例となったので側室が王妃になるのを禁止する法律を作った、とみなされた。

しかし、ここで謎が生まれる。仁顕王后が亡くなって空いた王妃の座には淑嬪・崔氏が座ると考えていた側近たちがほとんどだったのだ。それほど、淑嬪・崔氏は粛宗に寵愛されていると思われていた。

しかし、粛宗は法律で自らそれを禁止した。その末に、彼は新しい王妃として仁元(イヌォン)王后を選んだ。そして、淑嬪・崔氏は王宮から出されてしまった。

これは、かなりの冷遇ではないのか。

淑嬪・崔氏は身分がとても低かったと言われている。そのことを粛宗は問題にしたのであろうか。そうであるならば、度量が狭い国王であったと言わざるをえない。

いずれにしても、トンイこと淑嬪・崔氏は王子(後の英祖〔ヨンジョ〕)まで産んでいたのに、結局は王妃になれなかった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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