518年続いた朝鮮王朝には27人の王がいるが、その中には初代王の太祖(テジョ)や7代王・世祖(セジョ)などの有名な王の陰に隠れて、韓国時代劇であまり取り上げられない王もいる。
そのうちの1人が5代王として即位した文宗(ムンジョン)である。彼はいったいどんな王だったのか。
ハングルを作ったことで有名な4代王・世宗(セジョン)の長男として1414年に生まれた文宗。世子(セジャ)として29年間過ごした彼は学問に明るく、天文や暦算、算術を得意としていた。
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1436年に病に伏せた世宗は、文宗を決裁権を与えようとするも臣下の反対により実現しなかったが、1442年に世宗の容体が悪化したことで摂政体制が認められたため、ようやく文宗の摂政が始まった。
世子時代に摂政を8年間行ない功績を残した文宗は、1450年2月に5代王として即位する。しかし、彼の治世は世宗のころと大して変わらなかったため、王権は弱体化する一方だった。
王として力を持っていなかった文宗の摂政が続いたので、世宗の二男である首陽大君(後の7代王・世祖)や三男の安平大君(アンピョンデグン)の勢力が大きくなっていった。
その状況に文宗は、後の6代王・端宗(タンジョン)となる長男のことを心配し、自身が信頼する金宗瑞(キム・ジョンソ)と皇甫仁(ファンボ・イン)などに王位継承後の補佐を頼んでいた。
もともと病弱だったこともあり、即位してから2年後の1452年5月に世を去った。
そんな文宗は、『王と妃』(1998年~2000年)や『大王世宗』(2008年)、『王女の男』(2011年)、『インス大妃』(2012年)などの時代劇に登場している。
ちなみに、文宗の時代には、他民族との抗争や戦争の歴史が書かれた「東国兵鑑(トングッピョンガン)」と呼ばれる書籍が編纂されている。
父親の世宗の晩年の手助けするという業績を残した文宗は、まさに影の功労者と呼ぶにふさわしい王だと言えるだろう。
文=大地 康
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