旧朝鮮銀行のある蔵米洞(チャンミドン)、東国寺(トングッサ)のある錦光洞(クムグァンドン)、さらにその周辺の新興洞(シヌンドン)、月明洞(ウォルミョンドン)辺りを歩いていると、日本式の建物にしばしば出くわす。
ただこうした街を歩いていると、どこかで見たことがあるような気がしてきた。かつて群山神社があった月明公園の近くに来た時、その謎が解けた。
月明公園のある月明山という低い山には、1926年に造られた群山海望トンネルがあるが、その近くに群山西小学校がある。そしてその小学校に“八月のクリスマス”撮影場所」と書かれたモニュメントが立っていた。
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1998年に上映された『八月のクリスマス』は、写真店を営む青年と駐車取締員の女性の淡く切ない恋を描いた作品だ。ハン・ソッキュが演じる青年は、不治の病にかかりながら、ほとんど取り乱すことなく、静かに淡々と最期の時を迎えた。
それは慟哭し、叫び、魂と魂がぶつかり合うような韓国映画に見慣れていた私には、物足りなさすらした。
しかし旧来の韓国映画では、慣れないと引いてしまう人も多いだろう。その意味で、日本でも上映されたこの映画は、韓流夜明け前であったこの時代、その先駆けとなった作品だ。
そして映画全体に流れる落ち着いた雰囲気は、日本の植民地時代の建物すら残る、古い街並みがあればそこであった。
ここまで来れば、舞台となったあの写真館はどうなったか、気になった。住民に聞いて探し当てたが、そこは車庫になっていた。背後の大きな木に、映画の面影を残すだけだ。
再び日本式の建物を探して歩いていると、この地に生まれ育ったという主婦が、「近所に完全に日本式の家があります。帰り道だから」と案内してくれた。それは痛みの激しい平屋の日本式家屋で、商店だったようだ。
道すがら主婦はこう言った。「最近、日本の建物が残っているというので、日本人がよく来るんです。それはいいのですが、開発から取り残されたままです。昔はここが市の中心部だったのですが、今は旧市街なんです」
このことは地域住民にとって、頭の痛い問題である。それでも、日本人観光客を呼ぶため、群山市は個人所有の日本式住居の改修・補修費用に乗り出したこともあった。
一方解放後、日本人が残した建物は「敵産家屋」と呼ばれている。その名称からも分かる通り、植民地時代の残滓に拒否感もあり、開発への渇望も強い。
ただ、外部の人間がとやかく言うことではないが、この街独特の落ち着いた雰囲気は、大切にしてほしいと思う。
文・写真=大島 裕史
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