王は27人なのに子は235人!! 朝鮮王朝の王たちは何人の子を授かったのか

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朝鮮王朝は一夫一婦制だったので、王の正室はかならず1人だけだった。しかし、側室を多く抱えるのが慣例だった。それを前提にして、王の子供の数を見ていこう。

16代王・仁祖(インジョ)までを前期、それ以後を後期と分けるとすれば、朝鮮王朝前期には歴代王の子供が187人いるのに対し、後期には48人しかいない。後期のほうが非常に少なくなっている。これはどこに原因があったのか。

一つは、後期になるほど側室の人数が減ったことが響いている。

歴代王の子供の数は、正室から81人が生まれ、側室から154人生まれている。要するに、側室が正室の2倍近くの子供を産んでいるのだが、歴代王が抱える側室の数は前期には7~9人が普通だったのに、後期には平均で3人くらいになっていた。これだけ側室が少なくなると、必然的に生まれる子供の数も減ってしまう。

名君・世宗も数多くの子宝に恵まれた

もう一つの理由は、朝鮮王朝後期に儒教的な“礼”が厳しくなったことだ。

たとえば、親族が亡くなったときに王は24カ月間も喪に服さなければならないが、このときには子供をつくることも禁じられた。

まだ寿命が長くない時代の2年間は今よりずっと貴重な時間だっただろうが、王はその間に禁欲的に過ごさなければならなかった。それが、結果として子供の減少につながってしまった。

イ・サンこと正祖の子供は何人?

それでは、子供が多かった王を見てみよう。

一番多かったのは29人もいた3代王・太宗(テジョン)。その中で正室が8人産んでおり、側室は21人だった。

二番目は28人の子供がいた9代王の成宗(ソンジョン)だ。

そして、三番目は25人の子供がいた14代王の宣祖(ソンジョ)だ。ただし、宣祖の場合は25人のうち23人が側室から生まれている。側室が産んだ割合が圧倒的に多かったのだ。

この他で有名な王の中では、英祖(ヨンジョ)が9人の子供のすべてが側室から生まれている。

また、イ・サンと呼ばれた正祖(チョンジョ)も3人の子供が側室から生まれた。このように、後継ぎの誕生を側室に頼ることが多かった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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