百済と高句麗の歴史が残る峨嵯山(アチャサン)。古代に築かれた石積みの周りをぐるっと1周して、もと来た登山道を引き返し、山頂を目指した。そして、さらに歩いて大きな岩盤に立つと、景色がパッと広がってきた。
私が行った時は、残念ながらスモッグがかかり、景色はかなり霞んでいる。1000万人が暮らす首都ソウルは、車の排ガスや冷暖房など、産業活動や人々の日常生活によって、空気がかなり汚れている。
しかもソウルの周辺には山が多く、空気が滞留しやすい。
さらに最近では、中国から黄砂など、多量かつ様々な粒子が飛んでくるため、高い所からクリアな景色を望むことは、かなり困難である。
ソウル市民が故郷へと向かうソルナル(旧正月)や秋夕(チュソク=旧盆)の頃や、台風一過など、風が強い日でないと、期待薄であることは確かだ。
【サク読み韓国史】高句麗、百済、新羅がしのぎを削り合った三国時代
それでも、ここからの眺めはなかなかのものだ。もやがかかった状態ではあったが、ソウルの東部地区、さらには江南(カンナム)一帯を一望できる。
そして眼下には、漢江が流れている。かつては、漢江の対岸に百済の都城である慰礼(ウィレ)城があった。
ペ・ヨンジュン主演のドラマ『太王四神記』など、韓国歴史ドラマにも登場する広開土(クァンゲド)王は、高句麗(コグリョ)の領土を広げていったが、それは広開土王の長子で、次期国王になった長寿(チャンス)王にも受け継がれ、高句麗は南下政策を続けていった。
そのため、5世紀半ばから後半にかけて、ソウルの東南部に都を置く百済と、激しい戦いを繰り広げたのであった。そして高句麗が百済の砦であった峨嵯山(アチャサン)を奪取することになる。
文・写真=大島 裕史
大島 裕史 プロフィール
1961年東京都生まれ。明治大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、1993年~1994年、ソウルの延世大学韓国語学堂に留学。同校全課程修了後、日本に帰国し、文筆業に。『日韓キックオフ伝説』(実業之日本社、のちに集英社文庫)で1996年度ミズノスポーツライター賞受賞。その他の著書に、『2002年韓国への旅』(NHK出版)、『誰かについしゃべりたくなる日韓なるほど雑学の本』(幻冬舎文庫)、『コリアンスポーツ「克日」戦争』(新潮社)など。
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