『イ・サン』の憎たらしき悪女は史実でどんな最期を迎えたか

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傑作時代劇の『イ・サン』の主人公としてよく知られる22代王・正祖(チョンジョ)が即位したのは、1776年であった。

彼の即位によって立場がガラリと変わったのが和緩(ファワン)だった。

彼女は正祖の祖父であった英祖(ヨンジョ)の娘だ。しかも、正祖の父である思悼世子(サドセジャ)の実の妹である。それなのに、兄と仲がとても悪く、思悼世子が米びつに閉じ込められて餓死するという事件で、兄の素行を英祖に悪意をもって告げ口するという悪事を働いている。

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ドラマ『イ・サン』でも、和緩は餓死事件の首謀者の一人だと名指しされている。そんな彼女を女優のソン・ヒョナが憎たらしく演じていた。

史実でも、和緩は父を慕う正祖にとって、とうてい許せない叔母であった。

そんな和緩が王宮で優雅に暮らせていたのは、英祖に溺愛されていたからだ。

『イ・サン』で和緩を演じたソン・ヒョナ(写真=SPORTS KOREA)

正祖の温情

しかし、事情が変わった。

英祖が亡くなって正祖が国王になってからは、和緩は仕返しをされることを恐れるようになった。

実際、正祖は即位すると、亡き父を死に追いやった者たちに徹底的に報復した。そのあおりで、何人も死罪になっている。その中で、正祖が処罰に苦慮したのが和緩だった。

彼女は典型的な悪女だ。しかも、実の兄を死に追いやった一人である。

それは、世間もよくわかっていた。人々は彼女のことを決して「王女」と呼ばず、むしろ蔑んでいた。

それは、高官たちも同じだった。彼らは和緩に対する厳しい処罰として処刑を求めていた。

正祖は悩んだ。とりあえず、英祖の喪が明けるまで和緩への対応を保留した。

その間にも、正祖はじっくりと考えた。

そして、英祖の喪が明けると、正祖は苦慮の末についに決断した。

正祖は和緩が自決することを願ったが、彼女はそうしなかったので、次のように命じた。

「流罪として遠島に送れ」

結局、悪女と知りながら命は助けることにした。英祖の娘を死罪にすることは儒教的に難しかったのだ。

こうして、和緩は自決せず、生き恥をさらしながら生き抜いた。

最終的に、正祖は和緩を都に戻し、ずっと後には罪を許した。

そうした正祖の温情によって、和緩は悪女でなく王女として晩年を過ごすことができた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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