朝鮮王朝には27人の国王がいたが、その妻である王妃は42人だった。
この42人の中には慈愛に満ちた王妃がいたのだが、反対に、権力をほしいままにして悪事に手を染めた王妃もいた。そんな悪女の典型のような王妃を2人だけ選ぶとすると、いったい誰が該当するだろうか。
まず、文句なしに一番の悪女だと思う王妃は文定(ムンジョン)王后だ。
この王妃は11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の妻である。
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彼女は、自分が産んだ息子を王位に就かせるため、中宗の先妻の息子だった12代王・仁宗(インジョン)を執拗に狙って暗殺しようとした。
結局、仁宗は即位してから1年も経たないうちに急死してしまったが、文定王后が毒殺した疑いがとても高い。
さらに、息子が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位すると、文定王后は政治を自在に操って、一族で高官の地位を独占した。その末に賄賂を横行させたのだ。
文定王后が君臨した16世紀中盤は干ばつが多く、 餓死者が続出した。それなのに、文定王后は悪政を続けて民衆を見殺しにした。
文定王后によって、朝鮮王朝はどれだけ不幸に陥ったことか。政治指導者として本当にひどい人だった。
間違いなく、王妃の中では文定王后が最悪の人だ。
それでは、王妃の中で次に悪女だと思える人は誰か。
選ぶとすれば貞純(チョンスン)王后だろう。
彼女は21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の妻だった。そして、英祖より年齢が51歳も年下だった。
すると、逆転現象が起きる。貞純王后のほうが、英祖の息子であった思悼(サド)世子より10歳下なのである。
そして、2人は相性が悪かった。そこで、貞純王后は思悼世子の失脚をはかって陰で盛んに動いた。その末に、思悼世子は米びつの中で餓死した。
本来、貞純王后は罪を問われても不思議はなかったが、22代王・正祖(チョンジョ)の時代になって、王族の最長老女性だったこともあり、辛うじて罪をのがれ。それなのに、1800年に正祖が急死したときは、毒殺説の首謀者と見なされた。
その後、10歳の純祖(スンジョ)が王位を継ぐと、貞純王后は未成年の王の後見人となり、政治に深く関与した。そのときに、キリスト教徒の大虐殺事件を自ら引き起こしている。それほどの事件を起こした理由は、政敵にキリスト教徒が多かったからだった。
本当に、貞純王后は血も涙もない悪女だった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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