【トンイの真実】仁顕王后とチャン・ヒビンの関係はどうだったか

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仁顕(イニョン)王后は1661年に生まれた。チャン・ヒビン(張禧嬪)より2 歳下であった。

1681年に粛宗(スクチョン)の二番目の正室になった。そのとき、粛宗が寵愛していたのが女官のチャン・ヒビンだった。

粛宗の母であった明聖(ミョンソン)王后はチャン・ヒビンを極端に嫌い、王宮から追い出してしまった。ところが、仁顕王后は、あまりに人が良すぎた。チャン・ヒビンに同情を示したのだ。

『トンイ』で仁顕王后を演じたパク・ハソンと張禧嬪を演じたイ・ソヨン(写真=SPORTS KOREA)

「殿下に気に入られている女官が長く宮中にいないのはいかがなものでしょうか。再び呼んであげるのがふさわしいのでは……」

仁顕王后がそう進言すると明聖王后は反論した。

「あの女をまだ見たことがないからそう言うのでしょう。あの女は毒々しくて悪だくみをしそうですよ」

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それでも、仁顕王后はチャン・ヒビンを弁護した。「まだ起こってもいないことを今から心配しなくてもよろしいのでは……」と。

このように仁顕王后はチャン・ヒビンをかばった。明聖王后もあきれるしかなかった。
その明聖王后が亡くなったあと、再び仁顕王后は人の良さをさらけだす。王のためには寵愛する女性が必要だと考え、チャン・ヒビンを宮中に呼び戻すことを粛宗に進言したのであった。

もちろん、粛宗に異論があるはずがない。彼はただちにチャン・ヒビンを呼び戻した。

本来なら、彼女は仁顕王后に感謝して当然なのに、むしろ逆だった。チャン・ヒビンは仁顕王后に対して「自分がいかに粛宗に愛されているか」を見せつけてばかりいた。

「殿下の心にもっと従わなければいけませんよ」。仁顕王后がそう忠告しても、チャン・ヒビンは顔をそむけるばかりだった。

その後、仁顕王后がチャン・ヒビンを呼んで諭そうとすると、横柄な態度を示したり無視したりした。

ついに、仁顕王后も堪忍袋の緒が切れた。以来、彼女はチャン・ヒビンに対して厳しい態度を取るようになった。

こうして、仁顕王后とチャン・ヒビンの対立が激しくなっていったのだ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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