『不滅の恋人』の第13話で、王位に野心を燃やすイ・ガン(チュ・サンウクが演じている)は、幼い王から王位を強奪して自分が即位する。それは史実とまったく同じだ。
『不滅の恋人』の幼い王は史実では6代王の端宗(タンジョン)である。そして、『不滅の恋人』のイ・ガンのモデルになっている首陽大君(スヤンデグン)が王位を奪って世祖(セジョ)として即位した。それは1455年のことだ。
端宗は形のうえでは上王になった。そして、正宮の景福宮(キョンボックン)を世祖に譲り渡して離宮に移った。王の権限もなくなり、ただの飾りものになってしまったのだ。
月に1回くらい世祖が挨拶に参ったりしたが、それは民心を安定させるための儀式にすぎなかった。
1456年には、端宗を復位させるために世祖の暗殺計画が起こったが、失敗に終わり、大逆罪を犯した者たちが処刑された。このとき殺されたのは120人を越えたと言われている。
事件は世祖に大きな衝撃を与えた。このままではいつまた復位を計画する者が出るかわからなかった。
さらに、端宗の側が反逆をたくらんでいるという告発が入った。世祖はこれを待っていかのように、ろくな調べもしないで端宗を魯山君(ノサングン)に降封(位階を下げること) して、遠く寧月(ヨンウォネ)に配流してしまった。
そして、端宗の生母の顕徳(ヒョンドク)王后から王妃の称号を奪い、その陵墓も平民の墓にしてしまった。
このようにして、端宗の王としての正統性を否定したのである。
寧月で暮らした端宗。ここはかつて王だった人が住むにはあまりに悲しいほどの僻地だった。
しかも、ここでの端宗の処遇は悲惨なものだった。身の自由を拘束されたばかりか、食事も粗末だった。
端宗をそのように扱っていた世祖が、さらに彼を生かしておくはずがない。
朝鮮王朝の正式な記録では、端宗は1457年に自殺したとされているが、当時の有名な学者は著書の中で、「先の王が寧月で自殺したと記録しているが、これは当時、狐や鼠のごとき輩たちの邪悪で媚びた文だ」と批判している。
実際には、世祖の命令で毒薬を持ってきた高官によって端宗は死を強要されたという。
しかし、端宗は自分で首に緒を結び、その先を窓の外に出して引っ張れと側近に命じた。
世祖が送った毒薬を拒否し、自殺を選んでせめてもの抵抗を示したのだ。即位から5年、16歳のときのことだ。
文=康 熙奉
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