時代劇『トンイ』では、仁顕(イニョン)王后(演者パク・ハソン)が1689年4月に廃妃になってしまい、代わって王妃の座に張禧嬪(チャン・ヒビン/演者イ・ソヨン)が就いた。庶民に降格した仁顕王后は、自邸でどのように過ごしたのだろうか。18世紀序盤に書かれた“仁顕王后伝”の記述を元に、廃妃になった後の彼女の生活を見てみよう。
【関連】いま明かされる『トンイ』韓国放送時に世間を賑わせた「珍事件ベスト5」
仁顕王后の一族の高官たちは同時にほとんど流罪になっていたので、実家には仁顕王后の母親しかいなかった。そんな実家から仁顕王后の自邸に食事が運ばれることが多かった。しかし、彼女はそういう食事を辞退ばかりしていた。
「これからは乾物だけで食事を済ませることにしましょう」
自らそう言っていた。王宮からはほとんど経済的な援助がなかった。そのことが仁顕王后に従っている宮女たちを一層悲しませた。秋になると実家から松茸が送られてきた。それを見て仁顕王后が涙を流したので、宮女がこう尋ねた。
「いつも泰然としていらっしゃるのに、今日はなぜ涙を流されるのですか」
仁顕王后は悲しそうな顔をして答えた。
「王宮にいた時に実家から松茸を送ってきたことがありました。その時は2人の大妃様に差し上げて大いに喜んでくださいました。今日、松茸を見てそれを思い出し、自然と悲しくなりました」
こうした話を聞いてそばについている宮女たちも泣き伏してしまった。
粗末な家は窓も破れ壁も崩れかかっている。庭は荒れ放題になっている。それでも、仁顕王后は心を動揺させることがあまりなかった。宮中から粗末な家に移って静かに一日中閉じこもっているだけだった。
仁顕王后の父上の3年の喪が明けたが、彼女は彩色の服を絶対に着なかった。
「罪人でありますから、彩色を着ることができません」
そう言って、木綿のチマと白いチョゴリを着て木綿の布団で寝た。驚くほど質素に仁顕王后は暮らし続けたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【関連】『トンイ』の主演女優たち、今何してる?4人の近況をまとめて紹介!
前へ
次へ