『トンイ』の息子・英祖はどんな君主だったのか

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ドラマ『トンイ』主人公・トンイを母にする朝鮮王朝の21代王・英祖(ヨンジョ)と言えば、息子・思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めて餓死させるという出来事を引き起こしている。思悼世子の反対派が英祖に意図的な情報を吹聴した結果として悲劇が起こってしまったが、国王と世子の不幸な事件は朝鮮王朝に暗い影を投げかけた。

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その一方で、英祖は政治的に成し遂げた業績がとても多く、名君だったという評価も得ている。このように、英祖の場合は国王として評価が分かれている。とはいえ、英祖には見逃せない“人権派”の顔もあったのだ。

それは何かと言うと、人の権利を大事にした稀有な国王だったということだ。実際、彼は冷酷で残虐な刑罰を思い切って変革し、人としての尊厳を守ろうとしていた。

英祖は1724年に国王になって52年間も統治を続けていたのだが、彼が即位した頃には罪人の膝に巨大な石を載せて骨を砕くというおぞましい刑罰が横行していた。

その痛みは死にも匹敵する苦悶であり、見る者すら心を凍らせた。そこで、英祖はそれを非人道的と断じ、1725年に廃止した。この決断は、時代を超えて光を放つ慈悲の行為であった。

『赤い袖先』
『赤い袖先』ではイ・ドクファが英祖を演じた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

人々に深い問いを投げかける存在

さらに1729年には“三覆法”という画期的な制度を導入した。死刑囚に初審、再審、三審という三度の審理を保障したのである。今では当然のように行われているが、約300年前の朝鮮王朝でこれを実施したことは、罪人の命と権利を守る革新的な試みであった。

それだけではなかった。英祖は刑罰の改善を次々に進め、1774年には罪人の顔に罪名を刻む入れ墨刑…まるでリンチのような辱めを与える刑罰を自らの権限で廃止している。こうした改革によって、英祖以前と以後とでは罪人が受ける扱いが大きく変わり、人権へのまなざしが大きく芽生えたのである。

こうして振り返ると、英祖は罪人の人権を守る改革者でありながら、同時に家族においては冷酷な決断を下した人でもあった。人間の光と影を併せ持つその姿こそが、彼を単なる名君ではなく、後世の人々に深い問いを投げかける存在にしている。

文=大地 康

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