テレビ東京で平日の朝に放送されている韓流プレミアでは、『トンイ』が佳境を迎えている。
イ・ソヨンが演じているチャン・ヒビン(張禧嬪)が、自らの欲望を叶えるために様々な陰謀を行なっていくのだが、史実のチャン・ヒビンも果たして悪いことをたくさんしていたのだろうか。
そのことを調べるためには、朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」を見なければならないが、それを読む限りでは、チャン・ヒビンが悪女であったという証拠はあまりない。
たとえば『トンイ』では、チャン・ヒビンが自分が産んだ王子を世子(セジャ)にするために様々な工作を行なっていき、そうした陰謀がトンイに次々と暴かれて、チャン・ヒビンは窮地に陥っていく。
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しかし、実際の歴史ではチャン・ヒビンは自分の息子を世子にするために陰謀を行なっていない。その必要がなかったからだ。
むしろ、チャン・ヒビンが産んだ王子を早く世子にしたいと焦っていたのは粛宗(スクチョン)のほうだったのだ。
なぜなら、粛宗は30歳近くになるまで息子がいなかったことをとても心配していて、「朝鮮王朝実録」の記述でも「後継者が生まれないので夜も眠れない」と嘆いている。
それほど、息子が生まれることを願っていた粛宗は1688年にチャン・ヒビンが王子を産むと、できるだけ早く世子にしたいと強く願った。
そういう意味では、チャン・ヒビンは自ら特別に動かなくても自分の息子を世子にすることができたのだ。
この他にも「朝鮮王朝実録」の記述を見る限り、チャン・ヒビンは割とおとなしく目立たないようにしていた。トンイのように、宮廷を揺るがすような事件を仕掛けたことはなかったのだ。
確かに、後には仁顕(イニョン)王后への呪詛(じゅそ)が疑われて死罪になっているが、それも確固たる証拠があったわけではなかった。
このようにチャン・ヒビンは、『トンイ』で描かれたような悪女ではなかった可能性が高いのだが、人望がなかったゆえに悪く言われるようになってしまった。
どちらかというと、不運な女性だったのだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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