時代劇『トンイ』でパク・ハソンが演じていた仁顕(イニョン)王后。彼女は張禧嬪(チャン・ヒビン/演者イ・ソヨン)の策略によって1689年に廃妃になってしまう。
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その代わりに張禧嬪が王妃になるのだが、廃妃後の仁顕王后は庶民の閔氏(ミンシ)に戻って、質素に暮らして何の不平も言わなかった。それは彼女の性格があまりに清らかだったからだ。
その聖女ぶりは子供のときとまったく変わらなかった。そもそも1667年4月23日に生まれた閔氏は、子供の時から大変美しい容姿をしていた。無色のチマを身につけていても、実家の周辺で大評判になるほどであった。
父親は高官の閔維重(ミン・ユジュン)で、西人(ソイン)派の重鎮だった。彼は娘に対して、名門にふさわしい教育を受けさせた。それに応えて、少女時代の閔氏は歴史的な書物をよく読み、十分に教養を身につけた。
文筆に関してもかなりの才能を見せていたが、それでも常に謙虚に振る舞っていて、自ら積極的に筆を取って文章を書くということはしなかった。また、閔氏は刺繍や裁縫を母親からよく教えてもらい、しっかりと身につけていた。
性格はどうだったのだろうか。これも申し分がなく、心が公正であるように常に心がけていて、どんなときにも人の悪口を絶対に言わなかった。
このように、閔氏は容姿が美しく、行いが正しくて、教養が高かった。すると、伯父がこう言った。
「澄みすぎる水は鬼神が嫌うという。彼女はあまりに賢くて美しいだけに、短命なのではないか、と心配になる」
この言葉は実際に当たってしまうのだが…。
1680年、粛宗(スクチョン/演者チ・ジニ)の正室であった仁敬(インギョン)王后が亡くなり、再婚問題が重要になった。この時、粛宗の母であった明聖(ミョンソン)大妃は、とても評判が良かった閔氏を息子の再婚相手にしたいと考えていた。
彼女が閔氏の実家に使者を派遣すると、使者から閔氏を絶賛する報告があった。これで新しい王妃が決まった。
こうして吉日に粛宗と閔氏が結婚した。それが1681年のことで、閔氏は仁顕王后となった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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