国王になれば、果たして幸せの絶頂を味わえるのだろうか。それを考えるうえでも、朝鮮王朝の25代王・哲宗(チョルジョン)の人生について考えてみたい。
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1849年、24代王・憲宗(ホンジョン)は22歳という若さで突然世を去った。その治世は、祖母の純元(スヌォン)王后と実家である安東・金氏(アンドン・キムシ)によって意のままに振り回された。
孫の死に直面した純元王后には、悲しみに沈む暇すらなかった。憲宗には子もおらず、次代の世子すら決まっていないという緊急事態だった。男子の少ない王家において、適任者を見つけ出すことは極めて困難であった。
そんな中、純元王后が選び出したのは、誰もがその存在すら知らなかった青年だ。その名は元範(ウォンボム)。王族の傍流にあたる彼は18歳という年齢であった。
だが、彼の境遇はあまりにも哀れだった。祖父や兄たちは政争に巻き込まれ次々と命を落とし、彼自身も配流された江華島(カンファド)で粗末な暮らしを強いられていた。自ら農耕に従事し、読み書きもままならぬほど学問から遠ざかっていた。そんな元範が突然王宮へ呼び出され、「今度は自分が殺されるのでは」と恐れるのも無理はなかった。
だが、現れた元範の姿はまるで凱旋将軍のようであった。堂々たる隊列に守られ、夢か幻のように王宮へと迎え入れられたのだ。これは、純元王后が自身にとって最も扱いやすい人物として彼を選んだ結果であった。
王位継承は本来、幼少期から帝王学を受けた世子が継ぐというのが不文律だった。だが、その伝統は1人の女性の意志によって踏みにじられた。1849年6月9日、元範は哲宗として即位するが、その実体は純元王后の「操り人形」に過ぎなかった。
そんな哲宗は、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』でキム・ジョンヒョンが演じて「探求心の強い国王」として描かれていた。それは現実とは違っていたが、ドラマの中で哲宗は十分に報われた存在になっていた。それができるのが、創作を交えることができるドラマの良さかもしれない。
文=大地 康
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