【韓ドラになった歴史人】『赤い袖先』でイ・サンの側近だった洪国栄はどうして堕落したのか

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1776年に22代王・正祖(チョンジョ)として即位したイ・サンにとって、頼りになる側近だったのが洪国栄(ホン・グギョン)である。この人物は韓国時代劇によく登場している。

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たとえば、時代劇『イ・サン』ではハン・サンジンが演じていたし、『赤い袖先』ではカン・フンが扮していた。もっとも、『赤い袖先』で洪国栄は号のホン・ドンノと称されていた。

このように、ドラマでも存在がよく知られた洪国栄は1748年に生まれた。イ・サンより4歳上である。官僚としても才能があった洪国栄のことをイ・サンは重用した。それによって、洪国栄は様々な重責を担うようになった。 

そうなると、朝廷のあらゆる上奏文は、洪国栄を通さなければならないほどになった。名高い老臣たちですら、彼の前では息をのむほどの緊張を覚えたという。そうした栄光の中で、洪国栄は次第に謙虚さを失い、自らが万能の存在であるかのように錯覚しはじめた。

ついには、自身の妹を「元嬪(ウォンビン)」としてイ・サンの側室にしている。だが、運命は無情であった。妹は宮廷の冷たい空気の中でわずか1年足らずの命を終えたのである。突然の死は、洪国栄の心を黒く染めた。

『赤い袖先』
『赤い袖先』ではカン・フンが洪国栄を演じていた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

栄華を極めた男の人生

彼は被害妄想が強くなり、妹の死を孝懿(ヒョイ)王后の仕業と決めつけ、王妃に対して燃えるような復讐心を抱いた。やがて、毒殺という恐ろしい陰謀を企てるまでに至ったのである。しかし、その計画が発覚し、洪国栄は断罪されることになった。

イ・サンの心もまた裂かれるような思いであったに違いない。かつて多くの功績を残した側近を死罪にはできなかったイ・サンは、温情をもって彼を地方へ追放する処置にとどめた。1779年のことである。

その後の洪国栄は、失意の底で酒に溺れ、やがて心身を病んでいった。これでは長生きができない。結局、1781年に洪国栄は人生という舞台を静かに降りた。わずか33歳の若さでの最期だった。こうして、かつて栄華を極めた男の人生は、哀しみに包まれながら幕を閉じたのである。

【洪国栄(ホン・グギョン)の人物データ】

生没年
1748年~1781年

主な登場作品()内は演じている俳優
『イ・サン』(ハン・サンジン)
『風の絵師』(チョン・インギ)
『赤い袖先』(カン・フン)

文=大地 康

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