鄭道伝(チョン・ドジョン)といえば、『龍の涙』でキム・フンギ、『鄭道伝』でチョ・ジェヒョン、『六龍が飛ぶ』でキム・ミョンミン、『太宗イ・バンウォン~龍の国~』でイ・グァンギが演じていた人物だ。
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朝鮮王朝建国の立役者の1人、鄭道伝(チョン・ドジョン)は、1342年に生まれた。彼は名家の出身ではなかったが、若い頃から儒教に強く惹かれてひたすら学問に打ち込んだ。
しかし、当時の社会で中央政界に進むには家柄が重要視されており、彼の道のりは平坦ではなかった。
政争に巻き込まれて流罪に処されるなど、挫折も少なくなかった。それでも、彼は諦めることなく、「理想の国家とは何か」という問いを胸に、信念を貫いた。
転機が訪れたのは1380年代後半。軍人として頭角を現していた李成桂(イ・ソンゲ)と出会ったことが、彼の人生を大きく変える。
鄭道伝は、腐敗した高麗王朝を改革するには李成桂こそがふさわしいと考え、強く支持。新しい国家を作るために手を取り合うこととなった。
当時の高麗では仏教勢力の腐敗が深刻であったため、鄭道伝は儒教を基盤とする政治体制を構想し、「王道政治」という理念のもと、仏教中心からの脱却を目指した。
1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂が初代王・太祖(テジョ)として即位すると、鄭道伝は中心人物として、政治制度や法体系、土地制度など国の骨組みを作り上げていった。
また、都を開京(現在の開城)から漢陽(現在のソウル)へ移すことを提案し、新たな王宮・景福宮の設計にも深く関わった。正門を南向きに配置したのは、“王が南に向かって政治を行う”という儒教的理想を反映したものだった。
景福宮という名称もまた、彼が儒教的価値観を込めて名付けたと伝えられている。
しかし、あまりに大きな影響力は、やがて王族との摩擦を生むことになる。特に、李成桂の王子たちの間で起きた後継者争いの中で、鄭道伝は八男の李芳碩(イ・バンソク)を推し、五男・李芳遠(イ・バンウォン)と対立。1398年、李芳遠が起こしたクーデターにより、鄭道伝は暗殺された。
そんな非業の死を遂げた鄭道伝だが、彼が構築した国家体制は、その後の朝鮮王朝518年の歴史の土台となり、多くの政治家や学者に影響を与え続けた。
【鄭道伝(チョン・ドジョン)の人物データ】
生没年
1342年~1398年
主な登場作品()内は演じている俳優
『龍の涙』(キム・フンギ)
『鄭道伝』(チョ・ジェヒョン)
『六龍が飛ぶ』(キム・ミョンミン)
『太宗イ・バンウォン~龍の国~』(イ・グァンギ)
文=大地 康
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