朝鮮王朝第3代王・太宗(テジョン)は、『六龍が飛ぶ』ではユ・アイン、『私の国』ではチャン・ヒョク、『太宗イ・バンウォン~龍の国~』ではチュ・サンウクが演じていた国王だ。他にも多くの時代劇に登場しており、新時代劇の『元敬』(原題)ではイ・ヒョヌクが太宗を演じている。
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李成桂(初代王・太祖)の時代に起こった後継者を巡る骨肉の争いで、勝利を収めて3代王となった太宗は、朝鮮王朝の基盤を築いた重要な人物である。
太宗として知られる李芳遠(イ・バンウォン)は、初代王の五男として生まれ、武力に優れ、父の政敵を次々と排除した。
芳遠は自分が後継者に選ばれると信じていたが、父が八男の芳碩(バンソク)を後継者に指名すると、1398年に「第一次王子の乱」を起こし、異母弟と側近の鄭道伝(チョン・ドジョン)を殺害した。しかし、この乱の後も芳遠は即位せず、二男の芳果(バングァ)が王位を継いだ。
1400年には四男の芳幹(バンガン)が王位を狙い「第二次王子の乱」が勃発。この争いを制した芳遠は3代王・太宗として即位するに至った。その過程では、妻である元敬(ウォンギョン)王后の支えが大きく、芳遠の政敵の襲撃を事前に知らせるなど、夫を支え続けた存在だった。
ところが、即位後の太宗は外戚勢力を排除する政策を採用し、元敬王后の実家を没落させた。この行動の目的は、外戚による王権への介入を防ぎ、王朝の長期安定を図ることだった。
しかし、実家の崩壊に怒った元敬王后との関係は冷え切り、彼女の兄弟4人が1410年に処刑されたことで、彼女は夫を激しく恨むようになった。
一方、側近たちは元敬王后の廃妃を進言したが、太宗はそれを拒否した。それでも元敬王后の心の傷は癒えず、寂しい晩年を過ごした。そのうえ、最愛の四男・誠寧(ソンニョン)が14歳で早逝するというさらなる悲劇に見舞われた。
ただ、1418年に三男の忠寧(チュンニョン)が4代王・世宗(セジョン)として即位したことが、彼女の唯一の救いとなった。元敬王后は世宗の即位を見届けた後、1420年に55歳で生涯を閉じた。
太宗の在位中の政策で特筆すべきは、「崇儒排仏」である。この政策は、儒教を重んじ、仏教を排除するものだった。
仏教が高麗時代に国政へ過度に介入して混乱を招いたことへの反省と、厳格な身分制度に儒教が適しているという判断が背景にある。この政策の結果、仏教寺院は都市から離れた山間部に追いやられることになった。
太宗は即位前後に争いを引き起こした一方で、王朝の基盤を整え、三男の世宗に王位を譲った後も後見人として王権を支え続けた。そして、1422年にその生涯を閉じた。彼の功績は、朝鮮王朝の安定と長期的繁栄の基礎を築いた点にある。
【太宗の人物データ】
生没年
1367年~1422年
主な登場作品()内は演じている俳優
『龍の涙』(ユ・ドングン)
『大王世宗』(キム・ヨンチョル)
『六龍が飛ぶ』(ユ・アイン)
『私の国』(チャン・ヒョク)
『太宗イ・バンウォン~龍の国~』(チュ・サンウク)
文=大地 康
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