1392年に建国された朝鮮王朝は518年間も続いたが、この長い期間を通して歴史に残った偉人を5人取り上げてみよう。国王が2人、政治家が1人、軍人が1人、医者が1人である。時代劇にもよく登場する5人なので、その業績は多くの人に知れ渡っていることだろう。
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●鄭道伝〔チョン・ドジョン/1342~1398年〕
「朝鮮王朝を作った功労者」と称されるほどの大人物である。初代王の李成桂(イ・ソンゲ)を補佐して、始まったばかりの朝鮮王朝の基盤を整備した。特に、朝鮮王朝は国教を儒教にしたが、それを主導したのが儒学者でもあった鄭道伝だ。結局、朝鮮王朝はずっと儒教によって統治が完遂されていった。
●世宗〔セジョン/1397~1450年〕
4代王として即位した当時、朝鮮王朝では正式な文字が漢字だけだったが、あまりにも難しかったので、文字を覚えられない人も多かった。そのことを憂慮した世宗は、自らが主導して民族固有の文字である「ハングル」を1443年に作った。正式には1446年に公布されたが、その業績はあまりにも偉大だ。
●李舜臣〔イ・スンシン/1545~1598年〕
今も韓国で大尊敬されている将軍である。1592年に豊臣軍の攻撃によって「朝鮮出兵」が起こり、朝鮮王朝軍は連戦連敗で苦境に陥った。その戦況を逆転させたのが、亀甲船を操って海上で勝ち続けた李舜臣だった。まさに「救国の英雄」。1598年、最後の決戦で戦死したが、本当に天才的な戦略家だった。
●許浚〔ホ・ジュン/1546~1615年〕
14代王・宣祖(ソンジョ)の主治医だったが、宣祖が亡くなったときに責任を取らされて処罰された。しかし、かえって時間ができたので研究と執筆に没頭し、1610年に不朽の医学書『東医宝鑑』を完成させた。これによって、本当に多くの人の命が救われた。今でも東洋医学の医師が参考にしていると言われている。
●正祖〔チョンジョ/1752~1800年〕
本名の「イ・サン」でよく知られており、朝鮮王朝後期を代表する名君だ。青年期までの彼はいつも服を着たまま寝ていたと言われた。暗殺される危機を抱えていたからだ。そんな苦難を乗り越えて立派な国王になった。実学を推進し、人材の活性化に情熱を注いだ。人格も優れていて、文化の発展にも大きく貢献した。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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