朝鮮王朝では国王の座は世襲制であり、本来ならば長男が継ぐのが原則であった。しかし、その原則が順当に守られた例は意外にも少なく、王位継承を巡って幾度となく骨肉の争いが勃発した。特に有名な5つの事件・疑惑を見ていこう。
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1. 「王子の乱」――建国時の骨肉の戦い
朝鮮王朝の黎明期すらも、後継者争いの渦中にあった。初代王・太祖(テジョ)の後継者をめぐり、第一夫人の息子たちと第二夫人の息子たちが激しく対立し、やがて血が流れる結果となる。第二夫人の息子2人が命を落とし、その果てに太宗(テジョン)が権力を掌握し、強硬な手腕で王権を確立した。
2. 叔父による王位強奪――甥の悲劇
1455年、6代王・端宗(タンジョン)は、叔父である首陽大君(スヤンデグン)によって王座を追われる。血縁の情は権力の前には無力だった。甥を退位させた首陽大君は7代王・世祖(セジョ)となった。端宗は最終的に死罪となり、薄命の生涯を閉じることとなった。
3. 暴君の追放――異母弟の即位
1506年、10代王・燕山君(ヨンサングン)は暴政の果てに、クーデターによって王宮を追われた。圧制を敷き、臣下を虐殺し、驕慢を極めた暴君の時代は、ついに終焉を迎えたのである。その後、異母弟が11代王・中宗(チュンジョン)として即位した。
4. 光海君廃位事件――甥に奪われた王座
1623年、15代王・光海君(クァンヘグン)は、政権運営の手腕を発揮しながらも、結局はクーデターによって廃位となってしまった。甥である仁祖(インジョ)が16代王として即位したが、彼は失政ばかり繰り返していた。
5. 毒殺疑惑――王宮に渦巻く陰謀
王の急死が報じられるたびに、王宮には毒殺の噂が流れた。最も有名な例が1724年の事件である。20代王・景宗(キョンジョン)が突然崩御すると、後を継いだ異母弟の英祖(ヨンジョ)に対し、「兄を毒殺し、王位を奪ったのではないか」との疑惑が囁かれた。王宮内は大騒動へと発展したが、真相は今も闇の中である。
文=大地 康
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