【悲惨な五大王子】「王子の争い」で兄弟に殺された5人は果たして誰なのか

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朝鮮王朝では、次の国王を狙う争いがひんぱんに起きている。特に、1人の国王に多数の王子がいるときは、王子同士がもめてお互いに殺しあうこともあった。そうした「王子の争い」では、最終的に「戦術眼に優れた参謀がいて野心が強烈な王子」が勝利をおさめることが多かった。そんな状況の中で、不本意ながら命を落とした5人の王子を取り上げてみよう。

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1人目/李芳碵〈1382~1398年〉

朝鮮王朝を建国した太祖(テジョ)の愛息としてこの世に誕生した李芳碵(イ・バンソク)は、その生涯が短命であったとはいえ、頭脳の明晰さは際立っていた。幼き日々より聡明な彼は、1392年、わずか10歳で世子(セジャ)としての高い地位に指名される。

しかし、彼の命運は変わってしまった。1398年、歴史に名を刻む「第1次王子の乱」が勃発し、異母兄である芳遠(バンウォン/後の3代王・太宗〔テジョン〕)の手により、彼は殺害されてしまった。

2人目/安平大君〈1418~1453年〉

「書の世界」において名を馳せる安平大君(アンピョンデグン)は、時代劇『不滅の恋人』の主人公のモデルとしても知られている。彼は4代王・世宗(セジョン)の三男として誕生した。天才肌の芸術家であり、書の筆致の優雅さは今日の韓国においても讃えられている。

王の座を巡る紛糾の中、甥である端宗(タンジョン)を守ろうとする彼の姿勢は、兄である首陽大君(スヤンデグン)との間に深い溝を生んだ。首陽大君が全ての権力を手中に収めた後、彼は命を断たれてしまった。

人気時代劇『不滅の恋人』でユン・シユンが安平大君を演じた

3人目/錦城大君〈1426~1457年〉

世宗の六男として生まれた錦城大君(クムソンデグン)。彼の心には甥・端宗のための情熱が燃え上がっていた。兄の首陽大君が新たな王・世祖(セジョ)として即位した際、彼は端宗の王位復帰を熱く夢見て策を練った。だが、その試みは失敗に終わり、彼は命を奪われてしまった。この出来事により、首陽大君は実の弟2人を殺したことになった。

4人目/臨海君〈1574~1609年〉

14代王・宣祖(ソンジョ)の長男として生まれた臨海君(イメグン)。彼の生涯は波瀾に満ちていた。16世紀末の戦乱の渦中、豊臣軍との戦いにより捕虜となり、その後に解放されたものの、その屈辱は彼を酒の世界へと引き込んでしまった。その放蕩な行状が、王位を継ぐ資格を奪ったとも言える。

弟の光海君(クァンヘグン)が王位につくと、臨海君は弟を公然と非難する姿勢を取るようになり、それが彼の悲劇を生んでしまった。1609年、彼は光海君の王位を安定させることを願う人たちによって命を奪われた。

5人目/永昌大君〈1606~1614年〉

永昌大君(ヨンチャンデグン)は、宣祖の正室だった仁穆(インモク)王后の息子としてこの世に生まれた。ただし、わずか2歳で父・宣祖を亡くし、その王位は異母兄である光海君に受け継がれた。正室の子としての彼は、宣祖の側室の子であった光海君によって常に警戒されていた。その結果、彼は流罪となり、1614年、その短い命を終えることとなった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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