『不滅の恋人』のリアル。もし安平大君が勝っていたら歴史はどうなった?

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時代劇の『不滅の恋人』は韓国では2018年に制作され、日本でもNHKや民放で何度も放送されて人気を集めた。

このドラマで主役のユン・シユンが演じたイ・フィは、正義を愛する立派な人物に描かれていたが、歴史的には安平(アンピョン)大君がモデルになっていた。実際にはどんな人物だったのだろうか。

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ハングルを作って史上最高の名君と言われる4代王・世宗(セジョン)は、とても子だくさんだった。正室は昭憲(ソホン)王后だが、

夫婦の間に10人の子供がいた。王女は2人だったので、王子は8人である。

長男は後に5代王になった文宗(ムンジョン)であり、二男が首陽大君(スヤンデグン)だった。首陽大君は、『不滅の恋人』でチュ・サンウクが演じたイ・ガンのモデルになった人物だ。そして、三男が安平大君で1418年に生まれている。首陽大君は1417年に生まれているので2人の兄弟は1歳違いだった。

安平大君は、幼いころから頭脳明晰で学問の成績が本当によかった。それだけでなく芸術の才能も豊かで、特に書は天才的な腕前を持っていた。しかも、性格もよくて人望があった。

ドラマ『不滅の恋人』ではユン・シユンが安平大君を演じている

闘争に敗れた安平大君

王子としては申し分のない人物であり、もしも長男として世宗の後を継いだら、父親と同じように名君になる素質が十分だった。しかし、謙虚な安平大君は分をわきまえて決して政治にしゃしゃり出ようとはしなかった。

しかし、兄の首陽大君が大きな野望を持って王位を狙う動きを見せたので、安平大君は兄に対抗せざるを得なくなった。

結局、世宗の後を継いだ文宗は在位2年で早死にしてしまい、その息子の端宗(タンジョン)がわずか11歳で6代王に即位した。

こうなると、首陽大君の野望に火がつき、彼は1453年にクーデターを起こして権力を掌握し、端宗から王位を奪う動きを見せた。安平大君は端宗をしっかり守り、首陽大君と激しく対立していった。このあたりの歴史を『不滅の恋人』は描いていたのである。

最終的には、安平大君は闘争に敗れて死罪になってしまった。彼は本当に無念であったことだろう。

首陽大君が端宗から王位を奪って世祖(セジョ)として即位したのは、安平大君が亡くなってから2年後のことだった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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