韓国時代劇は朝鮮王朝を舞台にした作品がとても多い。その中でも特に、王宮を舞台にした宮廷劇がメインとなっている。王位継承問題や官僚同士の派閥闘争などを描くドラマがたくさんあり、その中で「王族女性が国王を補佐して政治が乱れる」ということもよく題材になっていた。
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何よりも、朝鮮王朝は1392年から1910年までの518年間も続いた。本当に長い王朝だったのだ。これだけ一つの王朝が存続したのは、国王を頂点とする中央集権体制が全土にわたって浸透していたことが大きかった。特に、3代王・太宗(テジョン)の功績が別格だ。
彼は世子になっていた異母弟を殺して国王の座を手に入れた非道な男だったのだが、政治的にはとても有能であり、朝鮮王朝の基盤を完璧に整備した。
その太宗の後を継いだのが4代王の世宗(セジョン)で、彼もまた民族独自の文字であるハングルを創製するなど大活躍した。このように、3代王と4代王の統治力が、後の長寿王朝の礎になった。
また、朝鮮王朝が長く続いた理由としては、内乱がほとんどなかったことが挙げられる。確かに、地方の不満分子が集結して反乱を起こしたことは何度かあるが、それが全国を揺るがす大きな戦乱にまで発展しなかった。いわば、朝鮮王朝は内乱を防ぐための制度をしっかり築いていたのだ。
さらに、朝鮮王朝は身分制度を厳格に整えたが、その身分制度によって全土の秩序が守られたという側面もあった。最下層の身分になった人は本当にひどい扱いを受けて苦労したのだが……。
もう一つ強調したいのが、22代王・正祖(チョンジョ)の存在だ。彼は1776年から1800年まで在位したが、その間に政治・文化・生活向上に尽力した。彼の行った善政が朝鮮王朝の存続を後押ししたのである。
しかし、正祖が世を去ったあとの19世紀以降、朝鮮王朝は激動する世界の潮流に乗り遅れ、政治が停滞して国力が衰えた末に1910年に滅んだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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