韓国時代劇を見ると国王がたくさんの側室を抱えたりしているので、朝鮮王朝が一夫多妻制であるようなイメージを持つ人もいるだろう。しかし、朝鮮王朝は一夫多妻制ではなかった。伝統的に一夫一婦制を守っていた。つまり国王が10人ほどの側室を抱えているにしても、妻は必ずたった1人だった。
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ただし、妻が亡くなってしまった時は、国王がすぐに再婚しなければならなかった。国王に妻がいないという状況をなるべく短くするためだ。
その一方で、妻である王妃に何か問題があって離縁された例もあった。こういう時は大きな騒動になるのが普通であって、韓国時代劇でもよく取り上げられている。
そんな風に離縁された王妃について取り上げてみよう。
1人目は、9代王の成宗(ソンジョン)の妻だった尹氏(ユンシ)だ。この女性は、自分が側室から王妃になったのに嫉妬深いところがあって、色々と問題を起こしていた。
成宗が寵愛していた側室を呪詛(じゅそ)したり、成宗の顔を引っ掻いてしまったり……そんな悪行によって国王から離縁され、最後は死罪になった。後に暴君として悪評が多かった燕山君(ヨンサングン)の母親であったので、そのことでも歴史に名前を残している。
次は中宗(チュンジョン)の妻だった端敬(タンギョン)王后だ。彼女は中宗に愛されていたが、父が追放された燕山君の側近で、叔母が燕山君の妻だった。それが理由となり、燕山君を廃位に追い込んだ高官たちの強い要請で端敬王后が廃妃になってしまった。
彼女が離縁されて王宮を去った後、中宗は愛する妻が恋しくて仕方がなく、楼閣の上に立って彼女が住むあたりを見てため息をついていた。
そんな噂を聞いた端敬王后は、かつて自分が履いていた赤いチマ(スカート)を裏の岩山に干して、「自分はここで元気に暮らしています」ということを伝えた。それほどの優しい女性であった端敬王后を離縁した中宗は、本当に情けなかった。
3人目は19代王・粛宗(スクチョン)の妻だった仁顕(イニョン)王后である。粛宗が寵愛する張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃にしたくて、仁顕王后は何も問題がないのに離縁されてしまった。
空いた王妃の座に張禧嬪が就いたが、彼女はやがて粛宗に飽きられて側室に降格した。それから、仁顕王后が王妃として復帰したのだが、粛宗の気まぐれに周囲は本当に振り回された。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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