【緊迫する『チャングム』の終盤】ついに本性を出した文定王后は何を企んでいる?

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テレビ東京の韓流プレミアで放送されている『宮廷女官チャングムの誓い』。イ・ヨンエが主人公のチャングムを演じている本作で、パク・チョンスクが文定王后(ムンジョンワンフ)に扮している。

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文定王后は、ドラマでイム・ホが演じている朝鮮王朝第11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の王妃となった女性である。

8月26日に放送された第49話では、チャングムが文定王后から世子(セジャ/王の後継者)の毒殺を依頼される場面が出てくる。この世子とは、中宗の二番目の正室から生まれた息子のことだ。

史実の文定王后はいったいどんな女性だったのかを見てみよう。

自分が産んだ息子をぜひとも王位に就けたくて文定王后が世子の殺害をはかった、という伝聞が、当時の野史(民間の間で伝えられた歴史書)にも出てくる。そうした噂を『宮廷女官チャングムの誓い』も取り入れたのだ。

野史だけでなく、正史である「朝鮮王朝実録」を読んでも、文定王后には怪しい行動が実に多い。

チャングムの誓い
『宮廷女官チャングムの誓い』(写真=2003-2004 MBC)

自分の息子を国王にしたかった王妃

世子は中宗が世を去ったあとに12代王・仁宗(インジョン)となるが、王位に就いてすぐに重病に陥ってしまった。その直前に、仁宗は文定王后のもとを訪ねて餅を食べている。すぐに、「その餅に毒が……」という疑念が仁宗の周囲から起こった。

実際、仁宗が病に臥してからも、文定王后は不可解な行動を続けている。その行状は「朝鮮王朝実録」に記されているが、仁宗が深刻な病状になっているのに、文定王后は王宮の外に嫁いだ自分の娘の家に行きたいと言いだして重臣たちを困惑させた。

一度王妃になった女性は、どんな事情があろうとも、王宮の外に出ないことというしきたりであるにもかかわらず、文定王后が「外出」にこだわったのは、宮中を混乱させることと、仁宗の病状を外部にもらすことが目的だったと思われる。

仁宗は、1545年7 月1 日に亡くなった。彼の後を継いだのは文定王后の息子で、13代王・明宗(ミョンジョン)として即位した。

すると、文定王后は早くも冷酷な一面を見せ、仁宗の葬儀をおそろしいくらいに冷遇した。服喪期間は短縮され、陵墓も格下げとなってしまった。

大妃(テビ/王の母)となった文定王后は、権勢をほしいままにして、一族で政権を独占した。政治は腐敗し、賄賂が横行した。悪政の最たるものであった。

『宮廷女官チャングムの誓い』で、本性を見せた文定王后として見事な演技を見せているパク・チョンスク。彼女も含め、後半での俳優たちの演技にぜひ注目してほしい。

文=大地 康

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