テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』では、5月13日の第27話で、チュ・サンウクが演じる李芳遠(イ・バンウォン)が譲位騒動を起こしていた。
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このときは世子が、預かった国璽(こくじ)を返還して今後は勉学に励む、と父親の李芳遠に約束した。そこで、李芳遠は譲位をとりやめた。しかし、そのことを王妃の弟であったミン・ムジルとミン・ムグが喜ばなかったことを罪に問われて、結局は流刑となってしまった。さらに、ドラマでは世子の出来の悪さが強調されて、李芳遠の怒りが頂点に達していた。
こうした展開は史実とどのくらい合っていたのだろうか。歴史的な経緯を見てみよう。
李芳遠は在位中に何度も譲位騒動を起こしているが、その一番目は1406年8月であった。このとき、王妃の閔氏(ミンシ)の2人の弟が、幼い世子を利用して権力を強めようとしたことが大問題となり、2人は流刑に処されてしまった。この事件の背景にあったのは、李芳遠と王妃の不和であった。
王妃は李芳遠が側室を多く抱えすぎることに嫉妬し、極端に夫に不満を持つようになった。李芳遠のほうも、王妃の実家である閔氏一族が外戚として権力を持っていることを極度に警戒し、閔氏一族の勢力を衰退させようとした。その結果が、王妃の弟2人の流刑であった。
なお、世子の譲寧(ヤンニョン)大君は1394年に生まれたが、幼いころから閔氏の実家で育てられていた。それゆえ、彼は母の弟たちとも仲がとても良かった。結果的にそのことで閔氏一族が李芳遠に危険視され、その後に標的になってしまったのだ。
また、譲寧大君は世子という重責を担いながら勉強に身が入らず放蕩を繰り返していた。逆に、李芳遠の三男の忠寧(チュンニョン)大君は幼いころから頭脳明晰でとても真面目だった。このことが世子交代の重大事件に発展していく。そのあたりも今後の『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』で細かく描かれていくことだろう。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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