俗に「朝鮮王朝3大悪女」と呼ばれた3人は、張緑水(チャン・ノクス)と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)と張禧嬪(チャン・ヒビン)である。極端な形で歴史に名を残した彼女たちは、絶対的な後ろ盾があってこその悪女であった。その後ろ盾を失った瞬間に、彼女たちの運命は果たしてどうなっただろうか。
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●張緑水
10代王・燕山君(ヨンサングン)の側室だった。彼女は贅沢三昧な暮らしに明け暮れ、暴君である燕山君と共に浪費して、王朝の金庫を空にした。燕山君は1506年にクーデターによって王宮を追われたが、張緑水もただでは済まなかった。すぐに命を奪われる結果となったのだ。
彼女がいかに恨みを買っていたか。張緑水は斬首となったが、市中に遺体は放置され、それに向かって人々が石をたくさん投げて石塚ができたという。張緑水はここまで庶民に憎まれたのであった。
●鄭蘭貞
11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后の手先となった悪女だ。文定王后の弟である尹元衡(ユン・ウォニョン)の妾となり、結局は、尹元衡の妻を殺して自分がその後釜に座った。王朝を揺るがす大事件に関与して悪事を重ねた鄭蘭貞の運命は、1565年に文定王后が死んでから一転した。
尹元衡と鄭蘭貞は復讐されることを恐れてすぐに王宮から逃げ出して地方でひっそりと暮らした。しかし、追手の追及から逃れられないと覚悟した鄭蘭貞は、ついに自害した。後から尹元衡も自ら命を断った。文定王后がいないと何もできない2人は、完全に命運が尽きていた。
●張禧嬪
絶世の美女であった歴史書に記されており、19代王・粛宗(スクチョン)に寵愛された。王妃にまで昇格したが、後に淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)の登場によって張禧嬪の運命も変わった。
再び側室に降格となった後、復位した仁顕(イニョン)王后を呪詛(じゅそ)したという嫌疑をかけられて1701年に死罪となった。とはいえ、粛宗との間に生まれた息子が20代王・景宗(キョンジョン)として即位している。国王の母親になれたということで、張禧嬪は悪女なりに相応の名誉も受けている。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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