傑作時代劇の『赤い袖先』はテレビ東京で放送中だが、9月14日の第10話ではイ・ドクファが演じる英祖(ヨンジョ)の認知症を思わせる症状について描写していた。彼は公務の最中に長く眠ってしまったり同じことを何度も言ったりしていた。周囲にいた臣下の者たちも戸惑うばかりであった。
史実で言うと、英祖に認知症の症状が出たのは1775年のことだった。彼は1694年に生まれているので、この時点で81歳であった。在位して51年が経っていた。
世孫(セソン)であったイ・サンは23歳だった。彼は祖父の英祖からとても信頼されていた。たとえば、英祖は公式の会議でも次のように発言した。
「最近の言動を見ていると重臣たちを信じることができない。余はすべてのことを世孫だけに伝えたい」
ここまで断言している。重臣より世孫のほうが頼りになると考えた英祖は、イ・サンに代理聴政(テリジョンジョン)をまかせようとした。つまり、摂政をさせようとしたのである。このことを正式な手続きにするために、英祖は1775年11月30日に世孫と重臣たちを集めた。しかし、重臣たちは反対した。特に、洪麟漢(ホン・イナン)は露骨に言い放った。
「どうして臣下たちがこの決定を受けなければならないのでしょうか」
洪麟漢はイ・サンの母の叔父だ。近い親族なのに、イ・サン反対派の急先鋒であった。それは、老論派を守るためだった。
しかし、英祖は重臣の反対論に耳を貸さなかった。その上でこう言った。
「緊急でない案件は世孫が決めるし、急を要する案件は余が世孫と相談して決めることにする。しばらく待ってみて、世孫のやり方が適切だと思えたら、さらに王命を追加することにしよう」
英祖がこう言っても重臣たちの多くが納得しなかった。すると英祖は激怒して「みんな、出ていけ」と叫んだ。
結局、英祖が不機嫌になって会議は中断となった。この間、イ・サンは落ち着いていた。彼は近づく即位に備えて、気持ちを整えることに集中して感情をあらわにしなかった。このような冷静な対応で、イ・サンは正念場を乗り切ろうとしていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【関連】【歴史コラム】『赤い袖先』のキーワードとなる代理聴政とは何か
前へ
次へ