テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『赤い袖先』。9月11日の第7話では、代理聴政(テリジョンジョン)の話が英祖(ヨンジョ)の口から出てきた。
【関連】『赤い袖先』が描いた女官の人生はどれほど苛酷だったのか
この代理聴政は摂政のことだ。国王が幼かったり病気になったりしたときに王族が代理で政治を行なうことを指している。朝鮮王朝ではよく起こることで、英祖の前にも代理聴政を受けた国王は何人もいた。
しかし、高齢を理由に代理聴政の話が出たのは初めてのケースであった。史実をみると、英祖が代理聴政を言い出したのは1775年11月20日のことだった。
この日、英祖は重大な発表をするために重臣たちを集めて語った。
「気力が衰えてきて一つの政務をやりとげることも難しくなってきた。こんな状態で最後までやり抜けるだろうか。国を治めることを考え始めたら、夜もまったく眠れないほどなのだ」
すでに英祖は81歳で在位51年であった。歴代王の中でも最高齢に達した彼は、心身ともに限界に近かった。そこで英祖は、世孫(セソン)であるイ・サンに代理聴政をさせたいという意思を明確にした。
真っ先に反対したのが左議政(チャイジョン/副総理と同格)の洪麟漢(ホン・イナン)である。彼は強い言葉で「世孫にはまだ無理です」と主張した。この洪麟漢はイ・サンの母である恵嬪ホン氏の父・洪鳳漢(ホン・ボンハン)の弟だ。イ・サンから見たら大叔父に当たる。そんな身内が世孫の立場を否定したのだ。
洪麟漢がそこまで強硬になったのは、主流派閥の老論派の危機感が強かったからだ。朝鮮王朝の規定では、王が亡くなったときには代理聴政をしていた人がそのまま即位することになっていた。つまり、英祖が世孫に代理聴政をまかせてそのまま亡くなれば、老論派が世孫の即位を防ぐことは不可能だった。
こうした事情を考えれば、イ・サンを排斥したいと狙っている老論派が世孫の代理聴政に大反対するのは当たり前だったのだ。
結局、イ・サンに対する代理聴政の話は政治の緊急課題になっていった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【関連】『赤い袖先』が描く恵嬪ホン氏の熱い覚悟とソン・ドギムの苦悩
前へ
次へ