ヨ・ジングが光海君(クァンヘグン)と道化師の1人2役を演じた『王になった男』は、傑作という評価を受けている時代劇だ。この中でイ・セヨンが扮した王妃は情緒がある女性で好感度が高かった。そこで気になるのが「史実ではどんな女性だったのか」ということだ。
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実は、光海君の妻であった王妃は歴史的には「廃妃・柳氏(ペビ・ユシ)」と言われている。つまり、王妃として立派な尊号をもらえず、「廃妃」という不名誉な呼称を付けられているのだ。そんな彼女の生涯にスポットを当ててみよう。
柳氏が生まれたのは1576年。16歳のときに光海君と結婚した。時が過ぎ、32歳の頃に夫が1608年に王位につくと、彼女は高貴な王妃としての地位を手に入れた。だが、運命は彼女を容赦なく変転させた。1623年、光海君はクーデターのため王位を剥奪され、柳氏は彼とともに江華島(カンファド)へと流罪となった。
船の途上、柳氏の心中には耐え難い屈辱が渦巻いていた。彼女は光海君に自決を迫り、「生きて恥をかくのは避けたい」と懇願した。しかし、その申し出は光海君によって断られた。彼の心には「生きていれば再起の機会があるかもしれない」という微かな希望が宿っていたのである。
江華島に足を踏み入れた後、光海君と柳氏は息子夫婦と隔離され、深い孤独の中での生活を余儀なくされた。光海君は静かに時を過ごしていたが、彼らの息子は脱出を試みた。これが露見し、息子は死罪になった。その後、息子の妻も絶望の淵に立たされ、自ら命を断った。
この報せを受け、柳氏は深い悲しみに打ちのめされ、「この世に未練はない」と悲痛な声を上げた。光海君は彼女を励まし続けたが、柳氏の傷は深く、彼女の涙は止むことなく、最後にはその命を絶ってしまった。享年は47歳であった。
ここまで書くと、柳氏の人生は救いようがないほど悲劇的だ。『王になった男』で描かれた王妃は現実の彼女とはまったく違うが、ドラマの中で美しく描かれたことは、柳氏にとって少しは名誉となったかもしれない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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