ドラマ『イ・サン』では、イ・ソジンが演じたイ・サンの臨終場面が描かれなかった。それでは、歴史的事実ではどんなことになっていたのか。名君イ・サンが臨終を迎えた時の様子を史実に基づいて再現してみよう。
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1800年6月にイ・サンは体調を崩した。からだに腫れ物ができ、熱もあった。
6月21日、イ・サンが自ら苦痛を明らかにして「寒けがする。意識も朦朧(もうろう)としている」と弱く言った。
6月27日になると、「食欲がますますなくなっている」と語っている。
6月28日、ついに重体となった。医官がイ・サンに煎じ薬を飲ませようとしたが、とうてい飲める状態ではなかった。さらにイ・サンの脈を取った医官が床にひれ伏した。
「すでに望みがありません」
王宮内が騒然となってきた。すると、貞純(チョンスン)王后が急に現れて、「私が直接見守っているから、皆の者たちはしばらく下がっていなさい」と叫んだ。
仕方なく重臣たちは部屋の外に下がった。必然的に、部屋の中にはイ・サンと貞純王后しかいなかった。しばらくすると、部屋の中から号泣する声が聞こえた。高官たちはイ・サンの死を悟った。すぐに駆け付けた高官の李時秀(イ・ジス)が叫んだ。
「どうしてこのように感情のままに行動なさるのですか。すぐにお帰りくださいませ」
高官たちが憤るのも仕方がなかった。イ・サンが亡くなったとすれば、その臨終の場に立ち会ったのは貞純王后だけということになる。これは大問題だった。貞純王后がイ・サンの遺言を操作するかもしれないからだ。
あまりにもイ・サンが不運だったのは、政敵であった貞純王后に看取(みと)られてしまったことだ。
実際、イ・サンの死後には「貞純王后が毒殺した」という噂が広まった。根拠は、「イ・サンの死によって一番の恩恵を受けたのが貞純王后」「彼女がイ・サンのもとに薬を届ける機会があった」「臨終の場にただ一人で立ち会った」ことなどである。
結局、貞純王后は周囲から毒殺説の首謀者と疑われた。その根拠がありすぎたからだ。果たして、真相はどうなのであろうか。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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