韓国時代劇において「最高のヒロイン」とは誰であろうか。多くの人が取り上げるのは、『宮廷女官 チャングムの誓い』でイ・ヨンエが扮したチャングムかもしれない。
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この女性は、朝鮮王朝の正史である『朝鮮王朝実録』に「長今(チャングム)」という名前で出てくる。しかし、彼女に関する記述は10カ所くらいであり、その実像はよくわかっていない。
もともとチャングムは、11代王・中宗(チュンジョン)に仕える、卓越した知識を有する医女であった。『朝鮮王朝実録』には、中宗自身が語った「余の病状は、彼女(チャングム)が理解している」との言葉が刻まれており、王族を幾度となく癒し、その功績を称えられていた。中宗や王妃から深い信頼を寄せられていた長今の存在は、その献身性を如実に物語っている。
中宗は1544年の11月14日の午後から昏睡状態に陥り、翌日、危篤となった。そして酉の刻(午後5時から7時の間)に、この世を去った。その死を看取ったのは、無償の愛を捧げた医女チャングムであった。その瞬間は『朝鮮王朝実録』の記述にも残されている。
しかしながら、『宮廷女官 チャングムの誓い』では描き方が違う。中宗の死を予知したチャングムは、王の命令で宮殿から離れていた。これは、王の死後、主治医が罰せられるという慣例を避ける唯一の方法であった。
歴史的な事実を見ても、中宗がこの世を去った後にチャングムの役目は終わった。中宗は56歳という、当時としては十分な寿命を全うし、38年の在位を経験していた。したがって、彼の死後に主治医が厳罰に処せられる可能性は低かったと思われる。
役目を終えたとき、チャングムは何歳だったのだろうか。『朝鮮王朝実録』には年齢の記載がなく正確なことは不明だが、長今が1515年から医女として活動を始めたことを察すれば、1544年には少なくとも50代以上であったと推測される。
宮廷医女の役割を解かれたチャングムは、その後にどこへ行ったのか。おそらく彼女は自ら培った医療技術を庶民のために活用したのではないか。そして、多くの人々の命を救ったに違いない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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