日本でも根強い人気を誇る韓国時代劇ドラマの名作『宮廷女官チャングムの誓い』。現在もBS日テレで再放送されており、医女編がスタートしているが、そもそも朝鮮王朝時代に医女は存在したのだろうか。
まず、朝鮮王朝時代に王の健康管理を担当していたのは、内医院(ネウィウォン)」だ。内医院には常に16名の医療関係者たちが従事したとされており、その中でも王の医療行為を担当する医者を「御医(オウィ)」と呼んだ。
ちなみに御医は正式や役職ではなく、王に最も信頼された医者を示し、ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の主人公チャングムも、王の主治医になる過程が描かれているが、チャングムが御医だったという記録は残っていない。
ただ、朝鮮王朝の歴史を詳細に記した歴史書『朝鮮王朝実録』の中で第11代王・中宗(チョンジョン)の治世を収めた『中宗実録』には、計10カ所ほど「医女チャングム(長今)」の名が登場する。
朝鮮王朝時代に医女が誕生したキッカケは当時の国教であった儒教が根付いていたこととも関係していたと言われる。
というのも、儒教では女性が夫以外の男性に肌を見せるのは不貞行為にあたった。そのため、病を患おうと医官が男性ならば、その診察を受けない者も多かったのだ。
それに頭を抱えた朝鮮王朝・第3代王の太宗(テジョン)がその統治時代に、女性の医官・医女の必要性を感じて導入したと言われている。
しかし、儒教的な思想を教育されて育った名家の娘たちが他人の肌を見ることになる医女になりたがるはずもなく、結果的に医女になるのは中人や賤民の女性たちが多く、そのために立場もとても低かったという。
当時の医女の地位は低く、脈の検査、鍼灸、産婆などの仕事が主で、宮中行事がある際には歌や踊りを覚えて宴会などで芸を披露しなければならず、別名「薬房妓生(ヤクパンキセン)」とも蔑称されていたらしい。
それでも王の健康管理に従事したチャングム。前出の『中宗実録』には、のちの第12代王・仁宗(インジョン)となる王子の出産に立ち会っていると記述されているし、1552年には中宗の母を治療し、米と豆の褒美を授かったという記録も残されている。
中宗は「余の病状は医女が知っている」(『中宗実録』1544年10月26日)とされているのだから、チャングムがどれほど王の信頼を得ていたかがわかるだろう。
構成=韓ドラ時代劇.com編集部
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