人気女優パク・ミニョンが主演するドラマ『七日の王妃』は、実際に起こった史実がその基となっている。この物語のヒロインは、端敬(タンギョン)王后という女性である。彼女の父は、高官だった慎守勤(シン・スグン)だった。
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1499年、端敬王后は晋城大君(チンソンデグン/後の中宗〔チュンジョン〕)と結婚した。その時、彼女はわずか12歳であり、晋城大君は11歳であった。2人は非常に仲が良かったが、1506年に人生が大きく変わった。
その年、晋城大君の異母兄である燕山君(ヨンサングン)がクーデターによって廃位されてしまった。この出来事は、端敬王后にも影響を及ぼした。というのも、端敬王后の父である慎守勤は燕山君の側近であり、クーデターが勃発した際に最初に命を落としたのである。
さらに、燕山君の正室は慎守勤の妹、つまり端敬王后の叔母であった。それでも、晋城大君は11代王・中宗として即位したので、妻の端敬王后は王妃となることができた。
しかし、クーデターを成功させた高官たちは、端敬王后が慎守勤の娘であることを重大問題とみなした。結局、高官たちは中宗に対して、端敬王后の廃妃を主張した。中宗は当初抵抗したが、初志貫徹はできなかった。
普通ならば、王の意思は絶対であり、臣下がそれに逆らうことはできない。しかし、中宗の場合はクーデターを成功させた高官たちに対して強気に出られない立場だった。こうして彼は苦々しくも妻との縁を断たなければならなかった。その結果、「重臣たちに頭が上がらない王」という印象を内外に強烈に刻み付けてしまった。
実家に帰された端敬王后は、元王妃として寂しい日々を送ることとなった。それから36年の歳月が流れ、中宗が危篤に陥った時、端敬王后は王宮の正門に駆けつけた。ただ一度でも中宗に会いたかったのである。
けれど、端敬王后は王宮内部に入ることは許されなかった。中宗が世を去ってから13年後の1557年、端敬王后は70歳で永眠した。彼女はわずか7日間だけ王妃としての地位にあった。それ以降の51年間は、「廃妃」として孤独な生活を送ったのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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