朝鮮王朝で「とても優秀なのに病死してしまった世子」を3人選べば誰なのか

2023年05月28日 歴史 #康熙奉コラム #写真
このエントリーをはてなブックマークに追加

世子(セジャ)というのは国王の正式な後継者。国王が死んだ時にはすぐに世子が即位することになっており、王朝のナンバー2である。つまり、間違いなく国王になれる立場なのだが、不幸にも亡くなって国王になれなかった世子がいる。

【関連】『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが扮した世子はどれだけ有能だったのか

一番よく知られているのは思悼世子(サドセジャ)であったが、彼は父親の英祖(ヨンジョ)によって米びつに閉じ込められて餓死している。よって病死ではないのだが、実際に病死したと言われている3人の頭脳明晰な世子を取り上げてみよう。それは、懿敬(ウィギョン)世子、昭顕(ソヒョン)世子、孝明(ヒョミョン)世子である。

懿敬世子〔1438~1457年〕

世祖(セジョ)の長男として17歳で世子となった。とても優秀な若者であったが、病弱であったので19歳で早世した。大勢の僧侶が回復のための祈祷を行なったが、命は助からなかった。懿敬世子の弟が世子となって後に即位している。

それが睿祖(イェジョン)だが、彼も19歳で亡くなってしまったので、王朝は大混乱に陥った。結局、懿敬世子の息子が9代王の成宗(ソンジョン)として即位した。

昭顕世子〔1612~1645年〕

1637年、仁祖(インジョ)の長男として、朝鮮王朝が清に屈服したときに人質として清に連行された。彼は軟禁生活を強いられたが、世の中を広く見ようとして清にいた宣教師たちとも交流して見識を深めた。

特に先進的な文明のいいところを取り入れて朝鮮王朝を改革しようという意欲にも燃えていた。1645年、人質から解放されて帰国したが、外国にかぶれたことを理由に仁祖から疎(うと)まれて2か月後に急死した。仁祖と側室によって毒殺された疑いが強い。

パク・ボゴムは『雲が描いた月明り』で世子に扮した(写真出典=KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより)

孝明世子〔1809~1830年〕

純祖(スンジョ)の長男として18歳で父の政治を代行した。優れた統治能力を見せて、将来を嘱望された。もしも孝明世子が国王になっていれば、間違いなく朝鮮王朝は政治的にも経済的にも発展したことは間違いない。それほど王朝を変える力量の持ち主であった。

しかし、21歳で早世してしまった。パク・ボゴムが主演した『雲が描いた月明り』の主人公イ・ヨンのモデルとなっている。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

【関連】パク・ボゴムが演じたことで有名になってしまった歴史人物とは?

【関連】【朝鮮王朝/悲劇の三大世子】芳碵、昭顕、思悼はなぜ死ななければならなかったのか

【関連】朝鮮王朝で国王の長男が王位を継承できたのは果たして何人?

前へ

1 / 1

次へ

関連記事


RANKINGアクセスランキング

写真


注目記事