『イ・サン』で必死に父の助命を願い出るサンは史実ではどう記されたのか

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『イ・サン』の序盤を見ていると、思悼世子(サドセジャ)が激怒した英祖(ヨンジョ)によって米びつに閉じ込められる、という大事件が克明に描かれている。

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ドラマでは、思悼世子の息子である世孫(セソン)のサンが父親の助命に全力を尽くすのだが、史実でもサンは父のために奮闘努力している。

それは、思悼世子が米びつに閉じ込められる直前のことだ。そのとき、思悼世子は怒りまくっている英祖に対して、冠を脱いでひざまずいていた。さらに、頭を地面にこすりつけた。そこまでして、英祖から許しを得ようとしていたのだ。

しかし、英祖は許さなかった。「今ここで自決するのだ」というばかりであった。

そんな現場にサンはやってきて、父の思悼世子の後ろにひざまずいた。それからサンは祖父の英祖に「父を許してください」と必死に懇願した。このように、心の底からサンは父の命のことを心配していた。しかし、英祖はサンの願いを聞き入れなかった。無情にもサンは現場から帰されてしまったのだ。そのことは朝鮮王朝の正史『朝鮮王朝実録』にも明確に記されている。

画像=MBC

未曽有の出来事

相変わらず英祖は思悼世子を絶対に許さなかった。息子を米びつに閉じ込めた翌日の1762年閏5月14日に、思悼世子の知り合いの2人を斬首している。「思悼世子をそそのかした罪」を問題視したのであった。さらに、思悼世子と遊興した5人の妓生(キセン)を処刑している。罪もなき女性が完全にとばっちりを受けてしまったのだ。

思悼世子が米びつに監禁された6日後には、彼を補佐していた側近の多くが罷免させられている。それはまさに、思悼世子の復帰がないことを明確に示したものだった。

そして、米びつを8日目に開けてみたら、思悼世子は絶命していた。いつ亡くなったのかはわかっていない。8日目というのは、死が確認できた日なのである。

こうして未曽有の出来事は「世子の餓死」という悲劇によって幕を閉じた。父を失ったサンは、悲しみを乗り越えて名君への道を歩むことになった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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