【泣ける「悲運の短命国王」】もっと長生きしてほしかった国王のナンバーワンは誰か?

2023年03月08日 歴史 #康熙奉コラム #写真
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朝鮮王朝にいた27人の国王。彼らの人生を見ていて、涙なくして語れないのが6代王の端宗(タンジョン)である。端宗が生まれたときにもう不幸があった。生母の顕徳(ヒョンドク)王后は彼を産んだ直後に亡くなってしまい、端宗は母の愛を知らずに育った。

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端宗の父は、4代王・世宗(セジョン)の長男だった5代王・文宗(ムンジョン)だ。学識にすぐれていた国王として有名だった。しかし、1452年に急死してしまった。

こうして端宗が即位したのだが、まだ11歳の未成年だった。この場合、王族最長老の女性が代理で政治を行なうのだが、端宗には母も祖母もいなかったので、後ろ楯を得られなかった。そこにつけこんだのが、叔父(父の弟)の首陽大君(スヤンデグン)だった。

野心が強烈で王位に欲深くなった彼は、強引に端宗に譲位させて7代王・世祖(セジョ)として即位した。露骨に王位を奪ったのだ。

しかし、端宗の復位騒動が起きて世祖の命が狙われるようになると、それを未然に防ぐために、世祖は端宗を僻地に流罪としたあげくに死罪を命じた。それは1457年のことで、端宗は16歳であった。

端宗の肖像画(写真=江原道寧越郡)

罪人として死罪になった端宗

世祖の命令で使者が毒薬を持参したのだが、使者は申し訳ない気持ちが強すぎて渡すことができなかった。

やむをえず、使者は端宗の前で身を伏せるばかりだった。そのとき、端宗が自分の首に紐を巻き、窓の外に控えていた侍者にそれを引っ張れと命じた。

侍者は躊躇(ちゅうちょ)したのだが、端宗に強く要請されて、仕方なく侍者は言われたようにした。結局、端宗の最期は後世の語りぐさになるほど堂々としていた。

しかし、その遺体はいったん放置されてしまったのだ。端宗は罪人として死罪になったので、葬儀を禁じられていた。だが、心ある者が処罰されるのを覚悟のうえで、端宗を丁重にとむらった。

端宗は16年しか生きられなかった。歴代の国王で一番短い。人格がすぐれていた彼こそ、もっと長生きしてほしかった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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