【無念の短命国王】27人の朝鮮国王の中で寿命が短かった3人とは誰なのか

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朝鮮王朝の国王の中で一番長生きしたのは21代王の英祖(ヨンジョ)だ。彼は82歳まで生きて、在位は52年の長きにわたった。きわめて長寿の国王であった。

反対に、短命だった国王は誰だろうか。今回は3人の国王を取り上げてみた。

最初は、6代王の端宗(タンジョン)だ。1452年に即位したときは11歳だった。

彼の母も祖母もすでに亡くなっていた。どちらかが生きていれば、未成年の国王のために摂政をまかせることも可能だったのだが、それは無理だった。

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そこに付け込んだのが叔父の首陽大君(スヤンデグン)である。彼は端宗の後見人だった重臣たちを殺して、1453年に実権を握った。そして、1455年に端宗を脅して王位を強奪し、世祖(セジョ)として即位した。

端宗も一応は上王となったが、形だけであった。やがて僻地に配流された末に死罪となってしまった。享年は16歳だった。

江原道寧越郡によって2021年に完成した端宗の御仁(写真=江原道寧越郡)

寿命だけはどうすることもできない

2人目に挙げるのは、8代王の睿宗(イェジョン)だ。

前述した世祖(セジョ)の二男であり、1450年に生まれた。

兄が懿敬(ウィギョン)であり、本来は彼が王位を継ぐはずだった。しかし、兄は19歳で早世してしまい、世祖が世を去った1468年に18歳の睿宗が国王になった。

優しい性格で、国王としての意欲も十分だった。しかし、運命に逆らうことはできず、病気のために19歳で命を断たれた。

結果から見れば、世祖の2人の息子は10代で亡くなっている。端宗から王位を奪った因果応報ではないか、と人々は噂した。

それにしても、睿宗は父と違って行ないも立派だったので、短命でなければ名君になっていたかもしれない。

3人目は、24代王・憲宗(ホンジョン)である。

彼が1834年に国王になったときは、わずか7歳だった。27人いた国王の中で一番幼い即位であった。

それには理由がある。父の孝明世子(ヒョミョンセジャ)が将来を嘱望されながら21歳で亡くなったからだ。ちなみに、孝明世子は、時代劇『雲が描いた月明り』でパク・ボゴムが演じた主人公のモデルになった人だった。

世子だった父が早世したので、祖父の純祖(スンジョ)が亡くなった後に憲宗が王位を受け継いだ。

とはいえ、7歳では何もできない。王族の長老たちの言いなりになりながら国王の座にいて、憲宗も成人したあとにようやく親政を行なえると思ったら、22歳で急死してしまった。

以上、朝鮮王朝で短命だった3人を取り上げた。王朝を思いのままに操れる国王であっても、寿命だけはどうすることもできないのだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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