朝鮮王朝では、国王が未成年で即位すると母親(または祖母)が政治を代行する制度があった。これを垂簾聴政(すいれんちょうせい)と言う。
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幼い国王の後ろに簾(すだれ)を置いて奥にいる王族女性が指示を出すので垂簾聴政と呼ばれたのである。
こうして垂簾聴政を行なった人は、絶大な権力を持って政治を自在に動かした。
実際、王妃(あるいは大妃)が一族の高官を重用して政権を私物化することが多かった。それゆえ、垂簾聴政を実際に行なった女性はとても評判が悪かった。
そうした事実を念頭に置きながら、垂簾聴政を受けた国王について見てみよう。
〔垂簾聴政を長く受けた王〕
順位 王名 期間 垂簾聴政を行なった王族女性
1位 13代王・明宗 8年 文定王后(明宗の母)
2位 9代王・成宗 7年 貞熹王后(成宗の祖母)
2位 24代王・憲宗 7年 純元王后(憲宗の祖母)
4位 23代王・純祖 3年 貞純王后(純祖の父の祖母)
4位 25代王・哲宗 3年 純元王后(哲宗の曾祖父の孫の妻)
以上のように、13代王・明宗(ミョンジョン)は、8年間も垂簾聴政を受けている。代理で政治を仕切ったのは、11代王・中宗(チュンジョン)の正妻であった文定(ムンジョン)王后だ。
彼女は“朝鮮王朝3大悪女の1人”と評される鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)を側近にして悪政を行なった。庶民が干ばつで餓死状態になっても救済策を行なわず、身内で権力を独占して私腹を肥やした。歴史的に最もひどい王妃と言われるが、そんな暴挙ができたのも、垂簾聴政という制度を悪用したからであった。
さらに、一覧表を見ると、垂簾聴政を2回行なった王妃がいる。純元(スヌォン)王后である。
彼女は、孫であった24代王・憲宗(ホンジョン)がわずか7歳で即位したときに垂簾聴政を行なって、自分の一族で官僚の要職を占めて独断的な政治を行なった。そんな政治が7年も続いた。
その後、憲宗は親政(国王が行なう政治)に取り組んだが、わずか22歳で急死してしまった。
すると、純元王后は操り人形になれる王族を国王として即位させた。それが、哲宗(チョルジョン)なのだが、このとき再び純元王后は垂簾聴政を悪用して政治を腐敗させた。
このように二度も垂簾聴政を行なった王族女性は純元王后だけだ。彼女は『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』でもペ・ジョンオクが演じて登場していた。何度も垂簾聴政を悪用した恐ろしい王妃であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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