今もソウルには王宮や離宮がいくつも残っていて多くの観光客を集めている。そんな王宮の代表格は言わずと知れた景福宮(キョンボックン)。それだけに、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』で登場する王宮について多くの人が景福宮だと間違いなく思っていることだろう。
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なにしろ、景福宮といえば朝鮮王朝の正宮としてあまりに有名だ。誰もが「王宮=景福宮」という図式を持ってしまっているのも無理はない。
しかし、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』が成立した時代に、実は景福宮はまったく使われていなかったのだ。その背景について説明しよう。
景福宮は1392年に朝鮮王朝が建国されたときから正宮として整備された。しかし、建国から200周年を迎えた1592年に大事件が起きて焼失してしまった。その大事件とは「朝鮮出兵」であり、豊臣軍が漢陽(ハニャン/現在のソウル)を攻めたときに不運にも景福宮は燃え尽きてしまったのである。
普通なら、戦乱が終わってから景福宮も再建されると思うのだが、朝鮮王朝はそうしなかった。景福宮をそのまま放置してしまい、他の離宮を正宮として使用するようになった。それが、今もソウル市内に残る徳寿宮(トクスグン)、昌徳宮(チャンドックン)、昌慶宮(チャンギョングン)である。
『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』は歴史的には1851年を描いている。景福宮が焼失してからすでに259年が経過していたが、相変わらず景福宮は再建されないで、当時は昌徳宮が正宮になっていた。
つまり、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』のヒロインである哲仁(チョリン)王后が哲宗(チョルジョン)と結婚式を挙げたのも昌徳宮であり、哲宗が一世一代の即位式を行なったのも昌徳宮だったのだ。
そうであるならば、そのまま昌徳宮がずっと正宮になっていても不思議はなかったのだが、1865年になって事情がガラリと変わってしまった。なんと、273年ぶりに景福宮が再建されることになり、壮大に施設がたくさん造られた。
以後はそこが正式に正宮となり、現在に至っている。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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