光海君(クァンヘグン)は朝鮮王朝を舞台にした韓国時代劇にとてもよく登場する国王だ。そういう意味では、27人いる国王の中で人気が高いと言える。
【写真】チョン・ジュノは『ノクドゥ伝』で光海君の印象をどう変えたのか
そんな彼は、1608年に即位したあと、政敵を排除して安定した王政を行なっていたはずだった。
しかし、光海君が知らないところで着々とクーデターの準備が進行していたのである。
そのクーデターの首謀者は綾陽君(ヌンヤングン)だ。彼は光海君の甥であった。
その人間関係を語るためには、光海君の父であった14代王・宣祖(ソンジョ)に触れなければならない。
この宣祖は子供が多い国王だった。その数は25人。その中の14人が王子だった。
二男が光海君であり、五男が定遠君(チョンウォングン)である。
その定遠君には、綾昌君(ヌンチャングン)という頭脳明晰な息子がいた。
高官たちの間でも「天才的な能力を持っている」と高い評価を受けるほどの王族だった。
それに危機感を持ったのが光海君の側近たちだ。彼らは綾昌君をあまりに警戒しすぎて、ついに反逆の罪をかぶせて殺してしまった。
最愛の息子が死んでしまいショックを受けた定遠君は、悲しみの中で1619年に世を去った。このとき、怒りを募らせたのが綾陽君だった。彼は定遠君の息子であり、綾昌君の実兄だったのである。
復讐心に燃えた綾陽君は、国王の光海君を打倒することを心に誓い、同志を集めていった。
その動きを光海君も側近たちも知らなかった。それは明らかな油断だ。
1623年3月13日の早朝、綾陽君に率いられたクーデター軍は王宮にたやすく侵入した。すでに内通者が門を開けていたのだ。
さらに、国王の護衛兵たちもクーデター軍に真剣に立ち向かわなかった。こうして、クーデターは成功し、光海君はあわてて逃げたが、後に捕らえられてしまった。
綾陽君は光海君を廃位に追い込み、自分が仁祖(インジョ)として新しい国王になった。
もし光海君が油断せず、早めにクーデターの計画を察知して護衛を強化していれば……。
そうすれば光海君も廃位にならずに済んだのだが、何を言っても「後の祭り」にすぎない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【関連】話題作『ポッサム』にも登場する光海君! 史実ではどんな王だったのか
前へ
次へ