話題作『ポッサム』にも登場する光海君! 史実ではどんな王だったのか

2022年04月30日 歴史 #歴史人物 #ポッサム
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韓国時代劇の新たなカリスマとも言える俳優チョン・イルが、人気ガールズグループ“少女時代”出身の女優クォン・ユリと共演して話題となっている時代劇『ポッサム~愛と運命を盗んだ男~』。

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この作品は、朝鮮王朝15代王・光海君(クァンヘグン)が統治する時代が舞台となっているが、その光海君を演じているのが『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』や『哲仁王后』などに出演していた俳優のキム・テウだ。

『ポッサム』に登場する光海君は、俳優イ・ジェヨン扮する左議政(チャイジョン)のイ・イチョムを後ろ盾にして王となったが、次第に宮廷で大きな権威をふるう彼に脅かされることになってしまう。

『ポッサム』ではキム・テウが光海君を演じた(写真= © 2021 MBN. All Rights Reserved)

では、史実における光海君はどんな王だったのだろうか。

1575年に朝鮮王朝14代王・宣祖(ソンジョ)の二男として生まれた光海君。彼は、1592年に「壬辰倭乱(イムジウェラン/豊臣軍による朝鮮出兵)」が起きたとき、地方で義兵を募るなど大きな功績を残している。

それだけの功績を残したのだから、父親の跡継ぎとして王になるのにふさわしい人物と言えるが、彼には臨海君(イメグン)という兄がいたため、それは難しかった。なぜなら朝鮮王朝には「長男が跡継ぎになる」という原則があったからだ。

ちなみに、臨海君は「壬辰倭乱」の際に豊臣軍の捕虜になってしまい、それが原因で酒に溺れ、様々な問題を起こしてしまう。

その結果、臨海君には王になる資格がないと思った宣祖は、1594年に二男の光海君を後継者として指名したのである。

しかし、そんな光海君の後継者の地位を脅かす出来事が起きる。それが、1606年に宣祖の二番目の正室である仁穆王后(インモクワンフ)が永昌大君(ヨンチャンデグン)を産んだのだ。

念願の嫡男が誕生したことに喜んだ宣祖は、永昌大君をすぐに王位に就けたいと思ったが、1608年にこの世を去ってしまい、その願いを叶えることはできなかった。そのため、後継者として指名されていた光海君が15代王として即位したのである。

王になった後に光海君は、自分の王位を脅かす存在であった兄の臨海君や異母弟の永昌大君を殺害し、義理の母親である仁穆王后を離宮に幽閉するなどしている。

そのことから光海君は暴君と言われてきたが、一方で外交面で大きな成果を挙げたり、内政面でも庶民の減税に尽力していたことから名君として見直される動きも出ている。

最終的に光海君は、1623年に後の仁祖(インジョ)となる綾陽君(ヌンヤングン)が起こしたクーデターによって、済州島(チェジュド)に流罪となり、1641年に66歳で世を去った。

暴君としての顔と名君としての顔、果たしてどちらが本当に光海君だったのだろうか。

『ポッサム』ではキム・テウが演じている光海君。チョン・イルとクォン・ユリの演技とともに注目してみるのも一興かもしれない。

文=大地 康

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